スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

停電中の国道15号 恐怖の闇夜疾走

戦後最大の大惨事。。。。犠牲者の方の冥福を祈りつつ、行方不明者の内、1人でも
多くの無事が確認されることを心からお祈りします。

原発は自衛隊に東京消防庁のサポートも加わり、必死の消火活動を続けておりますが、
放射能汚染拡大という大惨事を起こさずに消化が完了することを切に願っております。

さて、まず本題に入る前に、原発関連で、いくつか気になった記事を転記します。

前半だけ読むと「酷い事するなぁ」と思いましたが、後半の院長の説明を聞くと、
やむなしだったのかなぁ。。。とも感じました。

2番目に引用した朝日の記事だと、病院側の弁明を殆ど記載していないので、病院の
せいで21名の死者が出たかのように受け取れる。

マスコミの報道は、「どう書くか」で印象が大きく変わりますよね。

(引用)

1)(2011年3月18日 読売新聞)

福島・双葉病院、患者だけ残される

 避難所に向かう途中と到着後に計21人が死亡していた福島県大熊町の「双葉病院」と、同じ医療法人が経営する近くの介護老人保健施設で、自衛隊が救助に行った際、一部の患者を残したまま医師や職員がいなくなっていたことが分かった。

 同病院と施設は福島第一原発の10キロ圏内にあり、12日に出た避難指示の対象地域となっていた。自衛隊から入った連絡として県災害対策本部が17日に明らかにした。同病院の鈴木市郎院長は、「警察の指示に従ったが、結果的に置いていったのは事実」としている。

 県などによると、避難指示が出た2日後の14日、自衛隊が同病院に救助に向かった。当時、同病院と介護老人保健施設には計300人以上の入院患者らがいた。このうち一部患者らを自衛隊が14日昼前にいったん救出した後、再び病院に到着した時は、寝たきりの患者ら98人がベッドに取り残され、職員はいなかったという。

 一方、鈴木院長によると、最初に病院に到着した自衛隊は患者と同施設の入所者の計約130人を救出。自力で脱出した人もいたが、1回目に救出しきれなかった患者98人と鈴木院長ら職員4人、警察官が残された。

 その後、15日午前1時頃になって、一緒に残っていた警察官から避難するよう求められ、院長ら職員4人は患者を置いて、警察官とともに隣の川内村に避難した。そこで合流した自衛隊と共に病院に向かおうとしたが、避難指示の対象地域のため、自衛隊だけで向かうことになり、98人は救助されたという。鈴木院長は「二度目に自衛隊が来るという時間になっても来なかった。日付が変わり、警察官から避難を求められた。どうすることもできなかった」と話している。

2.(以下は朝日の記事)

患者避難、医師ら付き添わず 21人死亡の双葉病院2011年3月18日1時43分

 福島第一原発の半径20キロ圏内にあり、避難指示を受けた双葉病院(福島県大熊町)から運ばれた患者が相次いで死亡した問題で、病院関係者が搬送時に付き添っていなかったことがわかった。福島県が17日に発表した。

 県によると、同病院には338人が入院し、うち146人は寝たきりや病状が重い患者だった。14日午前11時すぎに同原発3号機が爆発したのに伴い、陸上自衛隊などは1415の両日に患者を3回に分けて救出した。

 陸自が14日に救出した時は、病院には病院長のほか職員が数人いた。しかし避難所までは付き添わず、15日の午前と午後に計55人を搬送した際も病院関係者の付き添いはなかったという。県によると、移動時に患者の病状が確認できない状態で、搬送中や搬送後に計21人が亡くなったという。

 県が15日深夜に病院長と連絡を取ったところ、「第一原発が爆発したので、川内村で自衛隊を待っていた」などと説明したという。県の担当者は「付き添うべきだった」と話している。

(引用終わり)

何か行き違いがあったのでしょうか?
医療関係者としての判断も難しいのかと思われます。

さて本題です。

昨日は1月に亡くなった父が使っていた横浜の事務所の近辺にあるマンションが、
今回の地震で、かなりの被害(ガラスが割れたり、タンスが倒れたり)が出ているという
情報が入ったので、急遽会社を早退して、状況確認に行ってきました。

当初は電車で行くつもりだったんですが、「大規模停電で電車も止まる」という情報が
入ったので、電車が止まっても良いように自転車で行くことにしました。

自宅と事務所を往復すると60km弱ありますが、事務所の鍵を自宅でピックアップし、
16時過ぎには自宅を出られたので、往路の大半は明るい内に走れました。

しかし途中から雪が降り出したのには参りました。
寒いのはある程度覚悟してたし、汗で濡れると思ったので、着替えは持参したんですが、
まさか雪が降るとは。。。。

事務所の中は、書籍や書類が散乱していたものの、高い位置に置いていたプリンターは
無事、PCは本体が倒れていて、ディスプレーが20cmほどずれていたものの、かろうじて
デスクから落ちておらずセーフ。

散乱した書類等を整理して帰って来ました。

帰りは横浜を出たのが18時半頃だったので、既に真っ暗です。
国道15号は震災後、外灯を消しているので、道はかなり暗い。
しかも途中から停電となり、信号も消え、真っ暗闇。

5LEDの比較的明るいライトを点けていたものの、さすがに1つではこの暗闇には
太刀打ちできず、視界は悪く、路面も見えず、かなり怖かったです。

大きな交差点は、警官が手信号やってましたが、殆どの信号は放置状態。
光と言えば、車が発する光以外一切ない中、恐怖の夜間走行。
いつトラックに突っ込まれるか分かりません。

「自分は透明人間である」「自分のことは誰にも見えていない」と認識し、相手が
自分を避けてくれることは100%期待せず、恐る恐る走りました。

実際、今回の計画停電で既に自転車での死者が何人か出ている。
マジで恐怖に引き攣りながら、R15を北上しました。

暗くて路面は見えないし、向かい風で、雪まで降ってるし、ホンッとヤバイって
思いましたよ。

しかも、単なる計画停電ではなく「大規模停電」と発表され、お店や電車も大混乱。
延々30km近く、真っ暗な中を走らねばならないのかと暗い気分になりました。

真っ暗闇の六郷大橋を渡って都内に戻ります。
しばらくすると、少しずつ信号が復活してます。
外灯がないので、かなり暗いんですが、信号が点いてるだけまだマシですね。

しばらく慎重に走っていると、前方に2台の自転車が見えます。
近付くと、後方がロードバイク(ちゃんとレーパン履いてSPD-SLペダルです)、
でもって、前を牽いてるのがママチャリみたいです(驚)

ちなみに僕はというと、MTB系クロスの Muirwoods号に、お馴染みのジーパン姿で
靴はSPDシューズです。

取り敢えずローディを抜いてみました。
前方を確認すると、前カゴのついた「ザ・ママチャリ」です。
もちろんアシストは付いてません。

こいつもそのまま抜こうとすると、強烈な向かい風を受けます。
「もしかして、ママチャリの後ろに居た方が楽?」という邪な考えが頭をよぎります。

で、その邪な考えを行動に移します。
3台列車が形成されました。

先頭: ママチャリ (当然普段着にフラペ)
2番: クロス (ジーパン普段着にSPD)
ラスト: ロード (レーパン&ジャージにSPD-SL)

この順番でしばらく走ってました。
巡航速度は 28km/h(向かい風)でしたでしょうか。
恐るべきママチャリ!!

そんなこんなで、夜間走行をそこそこ楽しみながら、無事帰宅しました。

●本日の走行距離: 14km (じてつうのみ)

スポンサーサイト

(続)原発事故 (19歳の原発作業員)

昨夜から今日にかけて、真冬のような気候になってますね。
被災地ではマイナス5度~3度の気温で、既に寒さが原因での死者も出ているとのこと。
悲惨としか言いようがなく、大したことのできない自分に苛立ち始めてます。

本来なら、自転車ブログなので、もっと自転車について書かねばならないところですが、
なかなかそういう気持ちになれず、原発の話題(引用等)が連続して申し訳ありませんが、
今日も書かせて下さい。

まず冒頭は、心が温まるこんな話から。

(引用)
募金箱の前にて幼稚園位の男の子と母親の会話。母「貯めてたのに本当にいいの?」子「3DS我慢する。これで地震の人の家建てる。」と言いお年玉袋から5000円を寄付。母「偉いね。地震の人、これで寒くなくなるね。」男の子思わず号泣。後ろにいた私、大号泣。
(引用終わり)

それに引き換え、買い溜めはここまで来たか。。。。。。 同じ日本人として許せない。。。。

関東地方の買い溜めと流通麻痺


さて、今問題となっている福島第一原発を「1F」、冷却&停止に成功した第二原発を
「2F」と呼ぶようです。

「2F」に勤務している19歳の青年が書いた記事です。

いろいろなエールを頂きました

それにしても、酷いことをコメントする人が居たものです。

(引用開始)

2011年3月16日(水)
【いろいろなエールを頂きました。】
今日も日記を福島第二原子力発電所環境施設Gの伊澤のPCからお届けしたいと思います。

発電所付近では誰もいないことになっているので、携帯の電波はまるできません。遮断されています。
こちらでも体調不良の方や女性の方を中心に避難を始めています。
2Fから避難した方々が避難した場所で、「非難」されていないことを祈ります。

まずはコメントくださった皆様、本当に、本当にありがとうございます。細々としていたサイトがいつの間にか知らない人に知れ渡っていたんですね。(広めた奴だれや!?)
本当に力になります。涙が出ます。(最初のほうの友達のコメント信じられね~。)
こちらでもテレビやネットで様々なエールを頂いたのを目にして、力をもらいました。

「東電社員死ね」だとか
「現場で作業してる人は偉いとかいってるけど、それが仕事で当たり前。むしろ逃げる奴なんかいたら最低だ。」とか
「たとえ逃げてきても、放射線浴びてきた奴なんか引き取らないでほしい。」とか、
「危険なんか一言も聞いたこと無かったのに、これは裏切りだ。」とか
「原発に送る水、食料が勿体ないから送るな。」とか、
「たとえこの先、原発すべてが安定しても東電を許さない。特に原発所員は隔離してほしい。」とか
「発電所いた奴は原発安定させたら死ねばいいんじゃない??」

だとか、とても力強いコメントを頂きました。
地域の方々、特に友達、知り合い、学校で知り合ったみんなの為に全力を尽くしてきたつもりですが、そんなことで賞賛されることではないことは分かっています。
全力を尽くして対応して当たり前。
否定できないし、しませんし、当たり前なんです。
でも頭で分かっていても、どうしようもないんです。

親父も今、連絡は取れませんが、私と同じように福島第一原子力発電所で対応しているのだと思います。親父、自分は家族からも背中を押されて、「過労死」だけ気をつけろと激励されました。もし親父が1Fで対応しているのなら、自分よりも遙かに過酷な状況で対応しているものと思われます。
母親も連絡はつきません。
もし、誰か知っている人がいたら教えてください。

家族から聞いた話では、原町で孤立状態にあるそうです。
ただでさえ薬が切れたら危ないのに・・・。
望みはほとんど捨てています。もし亡くなっていたとしても、覚悟はできています。途中、何度も助けにいきたかったけど、私情は挟むことはできません。
今は外に出れば、二度と発電所に戻ることができません。
どうか無事でいてほしいですが・・・・・。

私は親父が1Fで働いてきたこともあり、東電がこれまで地域にもたらしてきた功績がどれだけのものか、理解しているつもりで、地域住民としても感謝してきました。
そんな身近にあって尊敬する福島の原子力発電所に入りたくて希望したわけです。
でも今は状況が違います。何をしても許されることはないことは分かっています。
わたしは今日所長から頂いた言葉に感銘しました。「福島第一、第二原子力発電所所員に『人権』なし!!」
まさに今の私達はその通りです。

今私達にできることは、一刻も早く原発を安定させることです。
それまではマシーンように感情を持たず、行けといわれれば行き、無理とされることもやります。
どうか知り合いである皆さんあたたかい目で見ていてください。
2F(福島第二原子力発電所)は無事、全ての号機冷温停止に至ることができました。
今はこの先もしも電源停止や今機能している系統が機能しない事態になったとしても、他系統でカバーできるよう、作業を続けています。

2Fの安定したことのニュースなんて流れてませんよね?
少ない時間でいいので報道してほしいのに・・・・。

また11時から作業予定なので、これから寝させて頂きます。
それでは
みなさん
おやすみなさい。



2011年3月15日(火)
【無事です】
おっす。

おら伊澤慶昭。
東京電力株式会社福島第二原子力発電所環境施設グループの者です。 

今福島第二原子力発電所でやっと休憩もらえて、あんまり寝れないんで、日記を書くことにしたよ?

みんなは無事なんかい?
俺ぁなんとか生きてるよ??

1Fの影響がこっちまで響いて、復旧作業に支障が出てるけど、2Fはなんとか無事にやってます。

問題は食料と水ですかね??
みんないつもと比べものにならないくらい仕事してるのに水と食料はないんだよね~。

1Fがあんなんだからこっちまで救助も来れないし、あと何日続くのかね~~。

1Fは・・・・作業する人もいなくなってきてるみたいだね。
親父は生きってかな・・・・・。

な~んて暗い話ばっかしてないで、ニュースではなかなかやってくれない原発のいいニュースをお知らせします。

1Fの水素爆発が起こった1,3号機は爆発が起こった原因は水と燃料の水・ジルコニウム反応によるものです。
よって水は今も注水されているわけでであります。
水が注水され続けているうちには問題は特には起こりません。
2号機も現在は注水されています。
あとはニュースでも行われているとおりです。

2Fですが、1Fの放射線が一時かなりの量が飛んできていましたが、今はとても安定して外に出て作業できるレベルになりました。
だからといって原子力発電所特有の装備をして出ているわけで、屋内にいる人は外に出ないようにしてください。
2Fは4号機ある内、3号機はすでに冷温停止を完了しました。
1,2号機も今は冷温停止に近付いております。

4号機は注水している最中ですがまだ安心と呼べるまでに至っておりません。
私も含め、4号機への注水活動を続けておりますので、どうか皆さん無事を祈ってください。
私も無事に20歳を迎えたいと思います。

それでは
みなさん
さようなら。

(引用終わり)

今日は姉から「亡くなった父の事務所が、地震の影響で大変なことになっている」との
連絡が入ったので、これから(もうちょっと仕事を片付けてから)駆け付けます。

人のいない事務所なので、人的被害は起こりませんが、近くに川があることから、液状化現象で
ビルが傾いているかもしれず、事務所の中もしっちゃかめっちゃかになっているかもしれません。

不安を抱えながら向かいます。

<追記>

事務所は散乱してましたが、深刻なダメージはありませんでした。
なぜかテレビが点いていた(謎)

天国に居る親父が地震と共に下界に下りてきて、テレビ見てたんだろうか??

●備忘録

3/16 走行距離: 30km
   体重:  69.7kg
   体脂肪: 11.3%

3/17 走行距離: 71km
   体重:  68.7km
   体脂肪: 12.1%

   3月の走行距離: 600km
   サイコン:    13,665km (1年弱)

あれ? 距離走ると体重は落ちるのに、体脂肪は上がる? 不思議だなぁ。。。。

原発事故

停電もさることながら、原発事故の行方は世界中から深刻な注目を集めております。
「こんな事故を起こした東電がケシカラン」とのご意見もあろうかとは思いますが、
M9.0の地震と、その巨大地震が起こした大津波を予想した原発の設計など、1970年
前後にできたのかと考えると、今東電を攻めるのは可哀想かなと、個人的には感じて
おります。

首都圏の放射線も通常の20倍とか40倍とか言われてますが、絶対値として健康に
影響があるレベルには全く達してませんし、今後「最悪」に近いことが起きたとしても、
首都圏が放射能汚染される可能性は極めて低いようです。

それこそ、頻繁に飛行機に長時間乗って出張を繰り返している人間にとっては、
今騒がれている放射線のレベルの数100倍数1000倍もの放射線を毎年浴びている
わけで、「1」マイクロシーベルト未満の放射線など、全く気にするレベルではありません。
(10時間程度の長距離フライトで1往復すると、200マイクロシーベルト程度の被爆をする)

さて、本当に放射線被害のリスクに晒されているのは、現場の作業員ですよね。
現場で前代未聞のトラブルと死闘している作業員の彼女(東電社員)が書かれた記事です。

本当はご本人のご希望もあり、URLを公開したかったのですが、分からなくなってしまった
(削除された?)ようなので、直接文章を引用する形で下記します。

URL見つかりましたが、開けますかね?

みなさん


(引用)
みなさんへ

今日の朝方 発電所から避難させられ福島の親戚の家で家族と合流しました
とりあえず私は無事です

お前だけは安全な所へ行け…と言われ泣きながら企業さんの車で発電所をあとにしました

東電はすごく叩かれてる…
でも逃げずに命懸けで作業を続けてるのも東電です
どうか非難しないで下さい

私も東電の社員として福島第二原発の所員として昨日まで現場対応にも参加してました
大津波警報の中 夜中の3時で足元も見えないまま死ぬ覚悟で海の目の前での復旧作業…
冷却機能のある機械は海側のため津波でやられてしまいなんとか復旧しようとみんな必死でした
みんな疲労と空腹と戦いながら足を引きずりながら作業にあたっていました
冷却機能を復旧できなければ第二原発も第一原発のような爆発が起きていました
それを防いで全号機冷温停止させたのも東電です
発電所を見捨てて逃げればこんな状況では済まされません
逃げずに立ち向かっているんです
津波の影響は想像を遥かに超えていました
地震だけであれば第一原発の爆発も起きなかったんです

みんな自分の命を顧みず 停止する作業に全うしてます

多々噂があるけど避難勧告の圏外にいれば健康に影響ある程浴びる可能性は低いです

健康に影響がある程浴びるのは発電所で頑張ってる作業員のみんなです
寝ず食わずで現場に行っています
噂に左右されず 避難勧告圏外へ避難して外気になるべく触れないようにして下さい

彼氏は今もずっと発電所で夜勤を続けてます
今はただ皆の安全を祈るしかできない…
一番怖いのは発電所で作業している皆です
逃げずにそれに立ち向かっているのは東電と関係企業さんです

家族との連絡がつかない人もたくさんいるけど現場へ向かい作業をしてます

それだけは忘れないで下さい
一人でも多くの人に知って欲しい
悪用防止の為コピーではなくURL公開して下さい
発電所のみんなは逃げずに今も戦っています
住民の皆様には不安な思いをさせて大変申し訳なく思っています
誹謗中傷覚悟の上で名前も載せます
皆を守る為自分の命と引き換えに今も作業をしている人がいます

こんな状況ですが 自分の命を顧みず立ち向かっているみんなを見て 一緒に復旧作業に当たることができて 東電社員であること 福島第二原発所員であることを誇りに思います

早く発電所へ戻り復旧作業に行きたいです

東京電力
福島第二原子力発電所
電気機器グループ
大槻 路子

(引用終わり)


また、東電の社員ではないのに、被災地から遠く離れた原発で働いている定年間近の
社員が協力のため、福島の原発に自ら手を上げて派遣されたという話もあり、我々が
ほんの僅かの放射線に文句を言っている間に、命を賭けて消火作業に当たっている
人達が居ると言うことは忘れてはいけませよね。

世界中が注目しているこの事故、日本人の不屈の根性と技術で(米軍にもお世話になって
ますけど)、乗り切り、最悪の事態だけは避けられることを切に祈ります。


今、何をすべきか、何をすべきではないのか。

大震災と大津波の被害が発生してから今日まで4日経過しました。
被災地の状況が明らかになるにつれ、絶望的な気持ちになってしまう方も多くおられる
と思います。

「頑張れニッポン!」「頑張れ東北!」と、少しでも多くの方の無事を祈り、1日でも
早い復興を願うという点では、全ての日本人が考えていることでしょう。
(ごく一部の「クズ」は例外として)

被害が少なく、日常生活を行える人達が今すべきことと、すべきでないことは何か。

多くの方が認識されているように、今素人がボランティアとして被災地に行っても、
邪魔になるだけですし、個人的な救援物資も役に立ちにくいどころか、逆に迷惑に
なってしまう危険性も高い。 なので、そういうことはやるべきでないこと。

となると、今やるべきことは「募金」と「節電」、あとは「献血」でしょうか。
やるべきでないこととしては、不安を煽るような情報発信や、食料等の買い占めでしょうね。

近所のスーパーを見て唖然としました。
見事に食べ物がない。。。。。。  電池も全て売り切れです。
電池については、停電があるので、ヤムナシですが、何で食料まで??

震災当日は帰宅困難者がヤムナク食料調達のため、コンビニ等から食料が消えたのは
当然のことと思います。 しかし12日(土)以降はなぜ?

不安に駆られて、いつもの何倍も買い込んでいる人達が少なからず居るからでしょう。

僕は震災当日に、家族には「必要以上のものは絶対に買わないこと」と指示を出しました。
僕らにはまだ家も水も電気もあるんです。(計画停電はあるものの)

なので、被災してない僕らが食料を買い溜めることで、本当に必要としている被災地の
方々に十分な食料が回らないのは明らかにおかしい。

東京以西は大きな被害は受けてないのですから、足りなくなれば、東海・関西方面から
いくらでも補給が可能なはず。 焦って買い溜めなどする理由はありません。

不安そうな家族に対しては、「食べたいものがお店からなくなっても、こういう時なんだ
から、残ったものを食べるしかないだろ」「今必要なもの以外は買うな」と説得しました。

幸い我が家にはパン焼き機があり、パンを作るための強力粉もある。
お店から何もなくなっても、それで数日間は食いつなげるはずだし、飲食店含め、
どこにも何も食べるものがなくなってしまうなんてことは考えにくいはず。

なので、スーパーやコンビニで、からっぽの陳列棚を見るたびに、浅はかで自分勝手な
人が多いんだなぁ。。。。と悲しい気持ちになります。

近所のスーパーで食材を買うしかない、交通手段も限られたお年寄りとかも大勢居ると
言うのに。。。。

もうひとつの疑問。

やみくもにスポーツのイベントを中止したり、飲み会や飲みに行く行為を中止するのは
正しいのか?  僕は必ずしもそうとは限らないと思う。

さすがに翌日(12日)の飲み会をキャンセルしたのは正しい判断だったと思うが、
いつまでもそれで良いのか?

数千人の死者が確認され、数万人が行方不明、数十万人が避難所での苦しい生活を余儀なく
されている中、僕らにできることは限られている。(被災地には今、行ってはいけない)

であれば、イベントは予定通り開催し、そこで上がる収益の全額とまでは言わないが、
3割とか5割とかを被災地に義援金として寄付してはどうだろうか?

こんなときに、馬鹿騒ぎの飲み会をやるのは非常識だが、飲み会をやったり飲みに行ったり
することまで自粛する必要があるだろうか? 僕はそうは思わない。

飲食店を経営している側からすれば、被災地でない東京なのにお客が入らず、店を営業
停止にしたりとか、開けても全く収益が上がらないとすれば、経営上深刻な問題となる。

東京を含む首都圏や、首都圏以西の経済が停滞してしまうと、日本の経済力というか
国力そのものが低下してしまう。

身近な例では、三陸沖からの漁獲は期待できないので、築地市場では、被害のない地域から
必死で魚介類を集めて、市場が成り立つよう努力したらしい。

でも、飲食店にお客が入らない(店を開けない)ことから、食材のキャンセルが多く出て、
せっかく全国からかき集めてきた新鮮な魚介類が腐ってしまう危険性もある。

これは正しい自粛なのだろうか?

大勢の方が、未曾有の被害に遭われたからと言って、楽しい事は一切自粛すべきなのか?

賛否両論分かれると思いますが、僕は日本経済の活性化に一票です。

自転車も大いに乗りましょう!!
内容はしばらく自転車の話題から逸れるかもしれませんが、ブログの更新も続けます!


(追記) 
二転三転する情報に翻弄されている側とすれば、東電への不満はつのると思いますが、
僕は個人的には、東電は良くやってると思いますよ。

だって、こんなことは全くの「想定外」ですからね。
「想定外」の中で、ベストを尽くし、最低限の停電に抑えていると思います。
(被災地まで計画停電させてしまったのは失敗だと思いますが)

危険な作業をやらされてる自衛隊には同情しますけど。。。。

今、求められるのは、交通機関がこれだけ乱れている中、自宅待機も含めてフレキシブルな
通勤を認める、企業のフレキシビリティなのではないでしょうか。




今日は自転車通勤者が多かったですね

被災地の状況が判明していくにつれ、その惨状には目を覆うものがあり、暗い気持ちになります。
犠牲者の冥福を祈ると同時に、行方不明の方々、避難されている方々の無事を祈るしかありません。

金曜日の首都圏の交通網が麻痺し、今朝の計画停電の影響で交通網が乱れ、多くの方が自転車通勤に
切り替えていたのか、街中に自転車が溢れてましたね。

しかし、普段自転車に乗りなれてない(少なくとも自転車通勤には慣れてない)人たちが街中に溢れた
ことから、マナーの酷さと言ったらなかったですね。

そういうマイナス面もありましたが、自転車に大きな注目が集まったことは否定できません。
自転車とは無縁な部長ですら、「会社が自転車通勤認めてくれれば良いのになぁ。。」と言い出す始末。

多くは書きませんが、この悲惨な事故を乗り越え、自転車に優しい社会の到来が来ることを期待したいです。

被災地の皆様、明朝は冷え込むようなので、色々と大変でしょうが、頑張って下さい。

我々のできることは節電と募金くらいですが、可能な限り協力させて頂くつもりです。

海外各国からの視点

マグニチュードが「9.0」に見直されました。
1900年以降に世界中で起きた地震で「4番目」に大きな地震だったようです。

1.チリ地震(1960年)      M9.5
2.アラスカ地震(1964年)   M9.2
3.スマトラ沖地震(2004年)  M9.1
4.東日本大震災(2011年)   M9.0
4.カムチャッカ地震(1952年) M9.0


我々平均的な(常識的な)日本人であれば、老若男女問わず、これだけの被害が発生している状況で、
皆助け合い、被害に乗じて犯罪的な行為を犯す人間は、まず居ないと思います。

既にご存知の方も多いと思いますが、このような状況で、暴動や略奪が起こらず、皆礼儀正しく助け合っている
という状況は、海外のメディアの賞賛を浴びております。

僕が知っている、ないしは想像できる、日本以外の全ての国では、こういう災害が起きたときは、多かれ少なかれ
暴動や略奪行為が少なからず発生します。

皆が皆そんなことをするわけではありませんが、人口の2割とか1割とかの不満分子が、災害に乗じておかしな
行為(犯罪)を犯すのが一般的です。

ないしは、犯罪までは行かなくても、多くの市民が食料などを求め、他人を出し抜いて我先にと手に入れようと
醜い争いが展開されるのが一般的です。

そういう世界的に一般的に発生しやすい状況が、我が国日本では殆ど起きていない。
それだけ、日本人のモラルが高いことを、全世界に知らしめることになっているようです。

モラルという言葉でも良いと思いますが、僕は「民度が高い」と言い換えても良いと思います。

一般的には社会の弱者、最下層に位置するホームレスの方が、帰宅難民にダンボールを提供したという話も
聞きました。 
他国なら、略奪行為に及んでもおかしくない最下層の人たちですら、このような心のある行動をする。

災害は辛いことですが、このような極限状態になっても、正しく行動できる日本人であったことは誇りに
思います。


東日本大震災

今日は自転車の話題はお休みです。

マグニチュード「8.8」(海外では「8.9」と報道)は、国内観測史上最大、1900年以降の
世界中で起きた地震の中でも5番目に大きな地震だったそうです。

被災地の皆様、辛く大変かとは思いますが、気を落とさずに耐えて下さい。。。。
これ以上被害が大きくならないことを心からお祈り致します。

さて、東京地方は震源地から離れておりましたが、震度5強にもなり、震度5以上を記録するのは19年
ぶりとか。
僕は19年前の1992年は東京に居ましたが、その地震はあまり記憶にありません。

50歳過ぎた方々含め「こんなに揺れたのは生まれて初めて」という意見が多かったです。

僕の会社は中央区のそこそこ高層ビルの真ん中くらいに位置してます。
免震構造であることが原因なのか、荒波に船が揺れ続けているような感覚で、恐怖感もさることながら、
乗り物酔いして気持ち悪くなったような感じ。

最大の揺れも2-3分続き、その後もかなり大きな余震が続きました。

最初の地震直後に、お台場方面から黒煙が立ち上ります。
続いて、遠方の房総半島から「火かな?」と思えるようなものが見えました。

これはコスモ石油のタンクだったようですが、火がどんどん大きくなり、最後に大爆発を起こし、50km
は離れていると思われるのに、大きな赤い爆発光と、原爆のような雲が発生。

さて、地震発生直後に、家族全員にメールを入れ安否確認をTRYすると同時に自宅に電話を入れます。
ドコモの通話は不可能(メールは大丈夫)、直後は固定電話は比較的通じました。
自宅には高校生の娘が一人で居ましたが、大きな被害もなかった模様。
(低い位置に置いてあったお酒が倒れて転がっただけ、割れることもなし)

家内も勤務先で無事を確認できたが、息子がサッカー部の練習で赤羽方面まで遠征しているが連絡が取れない。
母と姉とも連絡が取れない(メール返信もない)。

ようやく息子と連絡が取れたが、電車が止まっているから帰れないと。
結局、サッカー部の関係者(父親?OB?)が勤めている会社が、練習場から比較的近いところにあったこと
から、30人ほど会議室に収容してもらい、寝袋や夕食も提供してもらえた。 ありがたいことです。

昨日は18時過ぎから会社の飲み会が予定されていて、幹事が17時過ぎにお店に電話したところ、お店自体は
やっているとのこと。

参加予定者の殆どは、電車が止まっているので、帰るに帰れず、会社近くの飲み屋で予定通り、飲みながら
電車が動き始めるのを待っていたようです。

僕は当日じてつうするか悩んだ(飲み会なので、会社に自転車を置いて帰らないといけないので)んですが、
結局「晴れてるのに電車なんか載りたくないな」ということで、自転車で通勤。

周りの殆どの人が「会社で夜を明かすか、近くの飲み屋で時間潰すしかないなぁ」とボヤいている中、
比較的自宅が近く、徒歩で帰れる(最大で3時間くらいか)人は定時を待たずに帰宅。

僕は自転車だったし、息子がそういう状況だったので、18時まで勤務してから自転車で帰宅。

息子が非難している場所は、自宅から15kmくらいの場所。
通常なら車で40~50分程度で行ける場所。

混んでいるのは覚悟だったけど、3時間もあれば着くだろうと19時過ぎに出発。
ところが、3時間掛かっても4kmくらいしか進まず、かつ完全にスタック(30分で1mくらいしか
進まない)してしまい、このままでは到着は朝になってしまうこと確実になったので、息子と連絡を取り、
安全と食事が確保されていることが確認できたので、お迎えは断念し帰宅。

今朝、避難場所で安全を確認し、無事電車で帰ってきました。 11時半頃でした。


●以下備忘録

3月の走行距離:  459km
サイコン累計:  13,525km (2010/3/24 - 2011/3/12)

入浴後体重:   67.5kg
同 体脂肪:   11.1%


M8.8 大地震

先ほどアップした記事は昨日書いたものに、地震の部分だけちょこっと足して書いて予約投稿した
ものにて、本日の記事としてはそぐわない内容となってしまいました。

なので、簡単ですが、書き直します。

当然のことながら、今日の飲み会はキャンセル。
会社に居座って宴会やってる人達は居ましたが(^^ゞ

今日は21時過ぎまで、都内の電車・地下鉄は全て停止状態。
さいわい「じてつう」だった僕は無事帰宅できました。

地震が起きた瞬間、一人で自宅で留守番していた高校生の娘はパニック状態。
でも、電話回線がパンクする前に連絡がつき、無事を確認。

家内の無事も確認できたが、サッカー部の練習で遠征していた息子とは連絡が取れず。
小笠原諸島へと出かけた母とも連絡とれず。
横浜在住の姉とも連絡付かず。

不安な時間が過ぎて行きます。

夜19時を過ぎ、息子がサッカー部員とコーチと共に約30名、無事赤羽近くの中外製薬に提供頂いた
避難所に無事収容されたことを確認。

息子と帰宅できない友人3人を我が家に収容すべく、さっそく車で迎えに行きますが。。。。。
目的地は15km先なのに、3時間走って4kmも進みません。。。。。。orz

最後は30分で10mくらいしか進まない状態に。
これでは、あと10km以上先の避難所に付くのは朝になりかねない。

息子の携帯に直接電話をかけても通じません。 どうにかメールのやりとりはできる。
そこで、事務所に居た義理の弟に依頼して、息子と電話交信してもらったところ、暖かいところで安全も
確保され、食事も出してもらっているとのこと。

であれば、焦って行ってもあまり意味ない(こっちが事故に巻き込まれそう)と判断し、帰宅しました。

それにしても、都内は発狂するほどの渋滞でした。 徒歩の方がずっとずっと早い。
自転車は我が物顔で走ってましたけど(^^ゞ

というわけで、地震速報です。
息子はサッカー部員と共に避難所に宿泊します。
学校に残っていた他の部の生徒達は学校で保護され宿泊するそうです。

それにしても、都市交通網は脆弱である。
直下型だったら、もっと酷いことになっただろう。

<追記>

12日11:30、昨夜から避難所@浮間に泊まっていた中2の息子が、やっと帰宅しました。

小笠原に向かっていた母は、途中で引き返し、明日帰港予定。

姉夫婦とも連絡取れた。
義兄の実家は福島で、彼自身は昨夜会社に泊まったが無事帰宅。
福島の実家の家族も無事とのこと。

ようやく、家族親族全員の無事を確認したが、仙台の友人とは連絡取れず。。。。。。



プロフィール

Muirwoods

Author:Muirwoods
2010年1月、45歳にして、短距離通勤用として購入したクロスバイク(MARIN Muirwoods、26インチMTB仕様)がいつのまに生活の中心的存在となり、Muirwoods号で300キロ超のロングライドに挑戦し、2010年末46歳でロードバイクデビューしました。

ロードバイク1台目は「Cervelo RS」。
11年7月にジャカルタに赴任、CAAD10を新規購入して持ち込みましたが、事故で大怪我をしてしまい、現在自転車活動は休止中です。

本年10/10を以って50歳になりした。
50代の10年も、頑張ります!!

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。