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50歳を過ぎてのチャレンジ!

Facebookはたまに投稿してますが、ブログ更新は久しぶりです。
4年間のジャカルタ勤務を終え、7/18早朝に成田に到着し、7/21から本社勤務開始です。

本部内で異動があったので、4年前までやっていた本社業務とは違う商材を扱います。
もちろん、ジャカルタでやっていたビジネスとは全然違う分野。

まあ、でもなかなか面白そうな(将来性がありそうな)プロジェクトでもあり、自身で楽しみつつ、会社の利益に貢献できれば良いなと考えてます。

私は、会社に入るまでに行ったことのある外地は、インドネシア・シンガポール・ハワイの3カ所だけであり、入社後も3年弱、貿易担当だったにも関わらず、一度も海外出張の機会を与えられないまま、いきなり3年目の冬(まだ1980年代)にアフリカ駐在に出されました。

経由地はフランス、3年ぶりの海外は、真冬のパリでした。 吹雪の中、会社訪問したのを今でも鮮明に覚えてます。 もう26年前なんですよねぇ。。。

でもって、パリから真っ直ぐ8時間南下し、真冬のパリとは40度の気温差がある、コートジボワールへ赴任。
いきなり引継ぎ出張で、セネガル・ギニア・カメルーン・ガボン・ブルキナファソと、およそ日本人には縁の薄い場所への歴訪を1989年末に実施。
1990年代の夜明けは、コートジボワールの首都ヤムスクロで迎えました。

その後も、トーゴ・マリなどを加え、1990年時点で、結構なマイナー国を実踏しました。

1993年からは中東担当で、2回の海外駐在を含め14年間の中東担当で、中東諸国はイスラエル・シリア・イラン含め、ほぼ実踏できました。
中東時代に休暇でヨーロッパ諸国も主要国はほぼ回ることができましたし、日本駐在時は、アジアも担当領域に入り、パキスタンなども訪問する機会もあり、中米プエルトリコやバハマに行く機会もあったりで、なんやかんやで40ヶ国近い国に行く機会に恵まれた。

2007年に中東担当を外れてからは、今まで一度も行ったことのない、オーストラリアに毎月通う羽目になったり、ジャカルタに来てからは、今まで行ったことのないマレーシアに何度か出張するなど、訪問国は(数えてないけど)50ヶ国近くに訪問していると思われます。

もう、これ以上、訪問国は増えそうにないなと思っていたところ、新たな担当国は、まさかの中央アジアであり、輸送ルートの関係もあり、来月さっそく出張が入り、今まで行ったことのない、トルクメニスタン・カザフスタン・ウクライナ・ジョージア(グルジア)に出張することに。

途中、既に過去に行ったこと(住んだこと)のある、UAEやトルコも経由しますが。

これで、南米を除く、世界のほぼ全地域に訪問することになります。 もちろん全ての国ではありませんが。

南米は楽しそうなので、機会があれば行ってみたいのですが、中央アジアは言葉が通じないのがネック。
1991年にソ連から独立しているので、年配層はロシア語を話すそうですが、若い人は現地語しか話せないみたい。

でも、年内には、ウズベキスタンやタジキスタンにも、行く必要がありそうです。
仕事は大変ですが、世界制覇を狙う私はウキウキしますね(^_^;)

今からロシア語を覚えても、半分くらいしか通じないと思うと、モチベーション上がらないけど、まあ今まで頑張って、英語・フランス語・アラビア語・インドネシア語と覚えてきたので、次はロシア語にチャレンジです。 いずれトルクメン語も覚えねばならないかも。。。。



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今日から丁度四半世紀前

今を遡ること四半世紀(25年)前の、1989年(平成元年)12月2日、私は初めての海外勤務
任地である、コートジボアール(象牙海岸共和国)の商都アビジャンに赴任しました。

もちろん、生まれて初めてのアフリカ大陸入りでした。
まだ25歳、今の年齢の半分でしたね。

アビジャンは赤道直下とも言えますが、一応北半球で、北緯5度。
現在の勤務地ジャカルタも、同じく赤道直下とも言えますが、南半球で南緯6度。

四半世紀前も現在も、私は赤道直下に近い場所で勤務しているという訳です。

現在が4回目の海外勤務ですが、2回目と3回目は中東で、北緯20度くらいのところだったので、
一応「冬」がありましたが、1回目と4回目は冬がなく常夏で、雨季と乾季がある程度の季節変化。

日本との時差は、9時間、6時間、5時間、2時間と、回を重ねるごとに日本に近づいてはいる
ものの、今回は赤道を越えて南半球に来てしまいました。

それにしても、25年前の今日、25歳で初めて海外生活を始めてから25年。
アフリカ2年1ヶ月、サウジ3年3ヶ月、ドバイ4年2ヶ月、ジャカルタ3年5ヶ月(継続中)と
合計、12年11ヶ月、約13年海外勤務してる。

つまり、直近25年は、日本に居た期間より、海外に住んでた期間の方が長かった訳だ。
会社生活は合計27年8ヶ月なので、会社生活の半分には達していないが。

海外勤務に憧れ今の会社に入ったが、ここまで回数・期間が多く(長く)なるとはねぇ。。。。

任期通りなら、来年帰国予定だけど、定年まで約9年あるので、もう一回くらいチャンスは
あるかなぁ。。。。

ふと半生を振り返ってみました(^_^;



7/17 ジャカルタ赴任後2年が経過しました

私は現在休暇で日本に居りますが、2年前の7/17に日曜日のJAL便でジャカルタに赴任しました。
今回も、この赴任日に休暇取得が間に合わないと、2年目の特別休暇権利喪失してしまうので、最後の
チャンスで滑り込みセーフで休暇取得できました。

あれから2年、色々とありました。
人生(人生観)を左右するような事故と大怪我、仕事関係の色々、娘の受験等々、その時その時は
頭を悩ませ、気を揉みましたが、「人間万事塞翁が馬」、何があっても腐らずに、前向きに生きて行きたい
ものですね!

アフリカ仲間達

私は今を遡ること20数年前、西アフリカの「象牙海岸共和国」(英語名:アイボリーコースト、
仏語名:コードジボアール)という国に2年強駐在しておりましたが、当時はコートジボアールの
商都である「アビジャン」と、同じく西アフリカにあるセネガルという国のダカール(パリ・ダカール
・ラリーで有名)に弊社の駐在員を出しておりました。

私は商都アビジャンに1989年12月初から1991年12月末まで2年1ヶ月駐在しておりました。
赴任時は所長以下研修生も含めて6人だったんですが、所長が39歳、次長が30歳、あとは
皆20代という世界一平均年齢の若い事務所でございました。

その中でも最年少は25歳2ヶ月の私だったんですが。。。。
一期上の研修生より若かったので、ちょっと気まずかったんですけど(^_^;)

当時ダカール事務所には若手社員(20代ないしは30歳そこそこの非管理職)1名の駐在だった
ことから、アビジャン事務所の所長がダカール事務所の所長も兼任しており、2つの事務所で、
西アフリカ全体のビジネスをフォローしており、お互いの行き来も多かったことから、両事務所の
OBで形成される「アビジャン・ダカール会」なるものが存在します。

その会に属している人に海外赴任や帰国の辞令が出る度に歓送迎会を開催しておりますが、
今般その案内メールが届きました。

メインゲストは、日揮の痛ましい事件があったアルジェリアからの帰国者と、西アフリカのガーナ
赴任する方、そして退職される方と、韓国ソウルに駐在する4名が歓送迎会の対象です。

「参加します!」という回答メールよりも、私を含めた海外からの「不参加メール」の方が目立つ
状況で、送信元は「ドイツ」「フランス」「イギリス」「ロシア」「ルーマニア」「メキシコ」「オーストラリア」
「アルジェリア」「マダガスカル」「タイ」「ベトナム」「台湾」「インドネシア
」等々世界各国から懐かしい
面々からの近況報告的メールをもらい、アフリカ時代を懐かしく思い出しました。

追記: ヨルダンやバグダットの人も居ました(^_^;)

「アビジャン事務所」「ダカール事務所」ともに既に閉鎖されてしまったので、「アビジャン・ダカール会」
の構成メンバーは増えることなく、全員で30名くらいなんですが、いかんせん日本に残っている
メンバーが少なく、歓送迎会を開催しても、退職者含め10名集まれば多い方というくらい、
アフリカ経験者は世界各国に散らばっております(^_^;

アフリカ駐在はハードシップが高いので、25歳になったばかりで赴任した小生を含め、20代を
中心に若い駐在員が多かったことから、入社10年経つ前に2度目の海外に出た人も少なくなく
その後も「海外要員」として位置づけられることが多いからでしょう。

この年になると、本社に居た方が出世するものなので、50歳前後で海外に出ている我々は
若干ピンチではあるのですが、一度味わった海外生活の醍醐味は捨てられず、帰国する度に
「早く海外に出して下さい」的な動きをする人も少なくなく、かような結果になっている訳でございます(^_^;

私は海外4度目で、弊社の平均と推測する「2回」の倍に達しておりますが、「アビジャン・ダカール会」
でも猛者になると、既に「8度目」という先輩も居て、「5回、6回当たり前」の恐ろしい世界となって
おります。

日本の国税に貢献してませんねぇ。。。。(^_^;


●今日は3/5以来22日ぶりの直帰(飲み会なし)でございます。
 昨朝の16kmに続き、久しぶりの「夜ローラー」が出来るかな。



ジャカルタ赴任一周年です!

さて、私は丁度1年前の今日、ジャカルタに赴任しました。
高校生の時に一度だけ、当時ジャカルタ駐在だった父親のもとを家族全員で
尋ねたことがありましたが、以来30年ぶりにインドネシアの地に降り立ち
ました。

入社以来25年、中東やアフリカをメインにやってきたので、インドネシア
とは全く縁がなく、出張に来ることも一度もない状態で、いきなり赴任です。

言葉も全く分からないし、イスラム教徒が多いのは知っていたけど、文化や
民族性も分からない状態での赴任です。

赴任前は色々と忙しく、インドネシア語を含め、インドネシアについて勉強
する時間は全くなく、亡き父親の事務所から大量のインドネシア関連書類のみ
頂いてきたという状態でした。

あれから1年、自分なりにインドネシア(ジャカルタ)にはそれなりに慣れて
きたつもりです。

1年間の10大ニュースでも書こうかって考えたんですが、なんか8割くらい
仕事関係になりそうなので、3大ニュースくらいに留めておきます(^_^;)

1.転倒大事故→入院・手術

これはジャカルタの1年だけでなく、私の人生で今のところ一番大きな
出来事だったと言えるでしょう。

2.ジャカルタ自転車部入部→活動開始

本当はこれが1番だったんですが、事故には勝てませんでした(^_^;)

3.仕事がやたら忙しく、赤道を何度も越え、出張者の接待に明け暮れる

トピックというよりは、今の生活全般ですかね。
隔週くらいでの出張や、週2回くらいの接待なら歓迎なんですが、連続するとさすがに疲れますね。


<追記>

今日も新たに来る出張者との会食を予定していたのですが、飛行機がまさかの5時間遅れとなり
会食は中止。

なので、今日は大人しく帰宅してローラー台を漕ぐつもりしてました(ツールが休みなのが
タイミング悪いけど)が、今さっき同僚に飲みに誘われて、断れなかった自分が居ます(^_^;)

これで、日~金は6連荘飲みが決定ですな。


ゴルフレッスン開始

私が50年近い人生の中で、殆どゴルフをやったことな話は以前に書きましたが、今回ジャカルタに
赴任するに当たり、前任者と前々任者に「ゴルフを始めること」を強く勧められ、重い腰を上げ、
初めてクラブセットやシューズを購入してジャカルタに持ち込みました。

前任者との引継ぎが終わり、引越しも終えて、少し落ち着いた8月末から9月にかけて3回ほど
打ちっ放しに行ったんですが、全くの初心者でクラブの握り方すら分からない状態で、独りで
やってても上達しないと思い、「ちゃんと習わなきゃダメだな」と思い始めて以来4ヶ月間、全く練習に
行かないまま時間だけが過ぎてしまいました。

しかしながら、年末の忘年会の際に「masatangoさん」から、「無料で教えてくれる日本人の
オジサンが居るよ
」という話を聞き、本日初めて「masatangoさん」ご夫妻と一緒にレッスンを
受けに行ってきました。

ちなみに、私のゴルフ歴はちょっと変わっていて、一度もクラブを触ったことがない状態で、いきなり
(場所はアフリカでしたが)所内コンペに出さされました(^_^;)

その後、言葉も良く分からないアフリカ人コーチに一度だけ教わりましたが、それが人生最初で最後
レッスンであり、既に22年前の話。

ゴルフクラブに触れること自体も超久しぶり(14年振り)ですが、レッスンを受けるなんて、実に
22年振りのことです。

教えて頂いたのは、インドネシアに30年在住という60代の男性なんですが、ジャカルタ駐在の奥様方を
相手に平日にレッスンをしていた関係で、masatangoさんも習うようになり、ご紹介頂いたという次第です。

土日は奥様方のレッスンは入っておらず、本日も我々3人の他には、インドネシア人でジュニアの
選手(お父さんは日本人)である「Yokoちゃん@11歳」のレッスンをメインにやってましたね。

Yokoちゃんのショット。

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さて、ゴルフの練習(今日は200球)後、masatangoさんご夫妻とアンチョルにあるシーフード
レストランに行ってきました。 ジャカルタ北西部の「Sunda Kelapa」 という場所です。



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メニューの一部を紹介します。
(まだ新しいカメラに慣れておらず、上手くピントが合わなかった画像もあり)

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料理は全て新鮮でとても美味しかったです!
Masatangoさん、美味しいお店をご紹介頂き、ありがとうございました。

さて、午後3時頃に帰宅したので、2時間くらい自転車に乗ろうと思ってましたが、帰宅直前に
雨が降ってきてしまいました。。。。orz

しかたないので、部屋でDVDを観ながら、固定ローラーを50kmほど漕ぎました。
まあ、運動にはなったことでしょう。

●本日の走行距離:   51km (固定ローラー)

バリ島の東まで行ってきました!

一昨日から2泊3日でバリ島の東にあるスンバワ島に出張してきました。
ここには銅鉱山があり、鉱山向けの取引があるからです。

さすがに鉱山の現場なので、ネットには繋がりませんので、昨日と一昨日の記事は予約投稿に
なりました。

今日も戻りが「22:35」だったので、日本時間的には既に24日となりますが、現地
時間で23日なので、ギリギリ間に合う計算になります。

さて、ジャカルタからスンバワ島への直行便はなく、バリ島のデンパサールないしは
ロンボク島のマタラムから、水上飛行機で飛ぶ必要があります。

これがまた怖いんだな(>_<)
風がないとそれほどでもないんですが、風があると怖い怖い。
8人乗りの小さなプロペラ機なんですが、物凄い勢いで急上昇したり急降下したりするんで
チビりそうになります(>_<)

以前はヘリコプターや船で行ってたらしいんですが、最近は水上飛行機の定期便が出るように
なりました。

行きはマタラムに13時半に到着したんですが、水上飛行機の離陸予定は17時なので、
チケットを買って色々手配したあとでも、3時間近く待ち時間があります。

ネットにも繋がらないので、インドネシア語の教本を読んで時間を潰してました。

夕方遅くにスンバワ島に到着し、宿泊場所に着いた直後にお客さんと会食、お酒もビールしか
なくて寂しいものでしたが。

翌日(昨日)が会議の本番、今日は午前中ゴルフでした。
ベストボール制なので、僕が下手でもチームの迷惑にはなりませんが、下手過ぎるとやはり
カッコ悪いですね(>_<)

レッスンプロについて練習しなくては。

●本日の走行距離:  0km
 (一昨日&昨日も同様「0km」)

ジャカルタあれこれ

(本記事の大半は予約投稿ですが、最後の部分だけ当日に追記してます)
ネット環境悪く、宿泊先からはアクセスできない状態です。

自転車の組み立てについては一通り書きましたので、今日は少し違った視点で書いてみたいと思います。

引継ぎ期間が完了し、前任者が帰国した後は、前任者が使っていた部屋を一通りクリーニングして、
いったんそこに入居します。

しかしながら、前任者は家族帯同していたので、家族用の広い住居を確保していましたが、私は単身なので、
その広い住居には一定期間(長くて来年の4月くらいまで)しか住めず、なるべく早く単身者用の狭い住居を
見つけなければなりません。

でもって、今はどこに住んでいるかと言うと、いわゆる「サービスアパートメント」と呼ばれている場所で、
普通のアパートのような住居なんですが、ベッドメイキングやランドリー等のサービスが付いてます。

部屋やホテルのちょっと広めのシングルルームなんですが、キッチンと冷蔵庫・電子レンジ・簡単な食器が
付いているので、小さなコンドミニアムみたいなイメージでしょうかね。

床は石造りです。 インドネシアでは、カーペットだと虫が湧くので、石造りが一般的だそうです。
この部屋にベッドと平行に固定ローラー台用のマットを敷き、自転車を設置して、毎朝漕ぐようにしてます。

固定ローラーの良いところは、目をつぶったままでも、本を読みながらでも、安全に漕げるところですね。

さて、3日前の日曜日の夕刻にジャカルタに到着したわけですが、その日はちょっとした日用品の買い物を
したあと、荷物をアパートに運び込み、前任者と2人で飲みに行きました。

でもって月曜の夜は、ジャカルタ駐在の大先輩で、会社を早期退職された方と会食。
火曜の夜は取引先の社長(中国系インドネシア人=いわゆる華僑)と会食。
そして水曜日の夜は、東京からの出張者との会食。

木曜日は、場所はジャワ島より東方の島でですが、先発隊で入った取引先の方2名、現地スタッフ3名、
同じ会社の後輩君とジャカルタ事務所の現地スタッフと飯を食いに行きました。

今日は午前中が鉱山のオペレーション視察、午後は全体会議、そして夜はこれからパーティとなります。

朝はとても涼しくて快適でしたが、日が昇るにつれかなり暑くなりましたが、会議室は摂氏15度くらいの
温度設定で、凍えそうになりました。

冷房が苦手な女性などが、僕が快適だと思う気温でも寒いと感じる気持ちが久しぶりに分かりました(>_<)

というわけで、今夜は深夜までパーティ、そして明日は親善ゴルフ大会です。

それでは行ってきます!

自転車通関

ジャカルタ到着後2晩が過ぎ、今日は3日目となりました。
昨日はやっとネットに繋がったので、機内で書いておいた記事をアップしましたが、
今日は到着後の通関等につき書いてみたいと思います。

まず、飛行機は到着予定時刻より若干早目に着いたのですが、どこに並べば良いか分からず、
「ビザなし」の列が長蛇になっていたので、ここではないはずと思って先に進むと、インドネシア人と
永住外国人しか受け付けないゲート(入国審査場)に来てしまい、また元に戻って長蛇の列に並ぶ羽目に。

前任者からは、イミグレ(入国審査)が終わると、荷物持ちのアルバイトが待ち受けてるので、2人雇って
チップをはずめば、免税で持ち込める可能性ありとのアドバイスを受けてましたが、ここで問題なのは
英語が通じない可能性が非常に強いこと。

身振り手振りで意思表示するしかないかと半分諦めていましたが、「イングリッシュ、イングリッシュ!」と
叫ぶと、一人英語で応じてきたバイトが居たので、彼を起用することに。

出てきた荷物の殆どに「要課税」マークが付いてましたが、「関税を免れたらチップをはずむから」と
そそのかし、結果として全部無税で通過できました!
しかも、お酒は1本までしか持ち込めない規則なのに、2本持ち込んでしまいました(笑)

17万円以上する自転車ですから、まともに課税されると100%(17万円)税金を払わねばなりませんが、
どうしても課税される羽目になったら、「この自転車は5百ドル(約4万円)だ!」と言い張って、500ドル
だけ払って逃げるつもりで、財布には700ドルくらい忍ばせてありました。

まともに払ったら500ドルのところ、ちょっとごまかして200ドルくらいで済ませる交渉もするつもり
だったんですが。

でもって、バイト君(2人)から請求された金額は「100万ルピア」(約1万円)だったので、税金よりは
だいぶ安いと思ったんですが、出迎えの前任に確認すると、「それは吹っかけ過ぎ」とのことで、結局
6千円ほど払って一件落着。

まあ、だいぶ安く済みましたね。

ジャカルタ到着!!(文章は機内にて作成)

<この記事が無事投稿されていれば、私が無事ジャカルタに着いたということですので、
ご安心下さい。>

今、機内で記事を書いてます。
丁度「大阪と和歌山の中間」くらいを通過中。
このあと、四国・鹿児島上空を通過して台湾・フィリピン・ボルネオ島を通過して、
約8時間後にインドネシア・ジャワ島にあるジャカルタに到着予定です。

同じ南半球でももっと南の国に出張していた時は、行きも帰りも夜行便だったことから、
飛行機乗る前からガンガン飲んで、機内では飯食って寝るだけだったんですが、今日の便は
昼便なので、お酒は飲まずに過ごす予定。(どうせ今夜たくさん飲むことになりそうだし)

さて、飛行機が離陸して、シートベルトサインが消えると、次にシートベルトサインが点く
までは自由時間となります。 昼間は物書きになりますよ(^^ゞ

幸い隣のシートが空いてるので、食事は隣の席のテーブルに置いてもらい、自分のテーブルには
PCを乗せてます。

お、丁度今、鹿児島上空ですね!
乱気流が発生とのアナウンスあり、シートベルトを締め直します。

ランチが来て、食べました。 食後はコーヒーにデザート。
朝食を成田空港で10時前に食べたので、あまり空腹感はなかったんですが、良く考えると
ジャカルタとは時差2時間なので、まだジャカルタ時間の11時前であり、夕食までの時間が
かなりあることから、ちょっと詰め込んでおきました。

甘いものはあまり食べないのですが、今日はちょっと頂きました。

そうこうしている内に沖縄上空まで辿り着きました。

飛行予定は成田発「10:50」、ジャカルタ着が「16:30」くらいだったはずなので、
時差2時間を加えて「約8時間」と思ってましたが、改めて機内で運行予定を確認すると、
離陸してから着陸するまでの所要時間は「6:40」で、現地時間の16時前に着くみたい。

あと、4時間40だ。 やはり南半球とは言え、アジアは近いな。
中東だと最低でも10時間くらい掛かるからね。
アフリカに至っては、直行便がないので、途中一泊して2日がかりだったしな。

さて、直後ちょっとだけ居眠りしましたが、食後のコーヒーがすぐに効いてきて、10分も
経たない内に覚醒。 でも一瞬でもうとうとすると気持ち良いですね。

そして、出発前に全く説明書すら読めなかった「Edge 800」を取りだし、バッテリーチャージを
開始。 マニュアル(英文)を読みながらセッティングを進めますが、いきなり衛星電波を
探し始めたので、慌ててスイッチオフ。 衛星電波なんかキャッチしたら、飛行機の機器が狂って
墜落しかねませんからね(>_<)

なので、スイッチオフの状態で大人しく充電中。

ふと、外を見ると、フィリピン上空まで達しています。
あと3時間ちょいかな。 フィリピンを超えるとボルネオ島(マレーシア・ブルネイ・
インドネシアが共存)があり、ボルネオを超えるといよいよジャワ島です。

以前はよく「硫黄島」上空を通過してましたが、フィリピンやボルネオも大東亜戦争の激戦地
でしたよね。 この付近に来ると、戦争のことを思い出さずにはいられません。

20歳前後の若者や、家族のある30代・40代の壮年が徴兵され、飢餓と恐怖に喘いだ挙句
死んでいった悲しい歴史を考えると、好きなだけお酒を飲んで肋骨折って自転車乗ってるなんて
贅沢以外の何物でもないですよねぇ。。。。

おっと、ふと気付くとボルネオ島上空だ。 晴れているので地上が良く見える。

●本日の走行距離:  0km

プロフィール

Muirwoods

Author:Muirwoods
2010年1月、45歳にして、短距離通勤用として購入したクロスバイク(MARIN Muirwoods、26インチMTB仕様)がいつのまに生活の中心的存在となり、Muirwoods号で300キロ超のロングライドに挑戦し、2010年末46歳でロードバイクデビューしました。

ロードバイク1台目は「Cervelo RS」。
11年7月にジャカルタに赴任、CAAD10を新規購入して持ち込みましたが、事故で大怪我をしてしまい、現在自転車活動は休止中です。

本年10/10を以って50歳になりした。
50代の10年も、頑張ります!!

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