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スーパー飛び石連休(2555年に1回!?)

ブログ記事を書くのが、今年に入って4回目という、月1回未満のペースとなってますが、
今週は不思議な週だったので、書いておくことに。

「飛び石連休」自体は火曜日や木曜日が祝日に当たる場合、今でもあるわけですが、
今週のインドネシアは、火曜日と木曜日が祝日となったため、営業日が「月・水・金」のみ
という「スーパー飛び石連休」となりました(^_^;

会社に入ってから、こんなことあっただろうかと考えてみて、飛び石的な祝日として
思い出すのは、「5月3日と5日」がありましたが、これって既に1985年に4日も休日と
なったために、私が社会人になった1987年以降、土日が絡まない飛び石連休は
なくなったようです。

今週の火曜日(5/27)は「ムハンマド(マホメット)昇天祭」、そして木曜日(5/29)は
「キリスト昇天祭」でした。

偉大な預言者二人が、揃って同じ週に昇天したのかと言えば、さにあらずであり、
ムハンマドの昇天日はヒジュラ(イスラム)暦(1年354日)、キリストは西暦なので、
お二方の昇天日は毎年11日ずれていく訳です。

それが、たまたま今年は「2日違い」という偶然!
しかも、インドネシアは「振り替え休日」という発想がないので、祝日が土日に重なっても
月曜日が休みになることはありません。

それが、イスラム暦と西暦の関係で、この2祝日が2日差になる確率は多分「365年に1回」
しかも、それが「火曜日」と「木曜日」になる確率はさらに「7分の1」ですから、実に
「2555年に1回」の極めて珍しい出来事と言えます。

そういう2555年に1回の確率の珍しい週が今週だったわけで、「土日休んで」「月曜仕事して」
「火曜日休んで」「水曜日仕事し」「木曜日休んで」「金曜日仕事して」「また土日休む」という
9日間の内、お休みが6日、営業日が3日という非常に不思議な感覚となる週でした。

3日あった営業日は、常に「前日と翌日が休み」状態だったので、月曜日のような金曜日のような
不思議な感覚でしたね。

しかも、インドネシアは日本よりも祝日が少ない国で、何ヶ月も祝日なしということが珍しくない
ので、本当に不思議な感覚でした。

会社に入ってから28年目になりますが、こんなことは初めてでしたね。

(参考文献)

「ゴールデンウィーク」
本来は5月3日から5月5日までの3日間を指す。
以前は休日が飛び飛びになることが多かったことから「飛石連休」という言い方がされたが[1]、1985年(昭和60年)の「国民の祝日に関する法律」(以下「祝日法」という。)の改正で5月4日が日曜日や振替休日でなくても「国民の休日」になってからは、この言い回しは少なくなった[2]。

2005年に行われた祝日法の改正により、休日の名称および振替休日の規定が変更されたため、憲法記念日やみどりの日が日曜日と重なった場合、「こどもの日」の翌日が振替休日になり、その分ゴールデンウィークが延びることとなり、5月4日が日曜日となる2008年に最初に適用され、振替休日が初めて月曜日以外の火曜日となった。




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今夜帰国します

来週の会議に出張のため、今夜のJALで帰国します。

普段であれば、19時にアパートを出れば間に合うんですが、最近混んでいるので、17:45に
アパートを出発、結局2時間以上かかりました。

空いていれば30分の距離なんですがね、市内を出るのに2時間近く掛かりました。

インフラの遅れているインドネシア、自動車は毎年100万台以上売れてます。
これから、渋滞はもっと悪化するでしょうね(^_^;


 

スマトラ島の物価は安いのか高いのか。。。。

早いもので、今年も既に1ヶ月が経過しましたね。
明日から2月、日本もそろそろ寒さが緩み始める頃でしょうか。
ジャカルタも雨季のピークを越えたのか、激しい豪雨はここ数日ありません。

さて、カラオケネタが連続で恐縮ながら、一次会含め会計報告です(^_^;

<一次会@8名>

ビール大瓶650ml 400円 × 6本 = 2400円
コーラ     100円 × 1本 = 100円
アイスボックス 45円 × 3箱 = 135円
ミネラル水  100円 × 2本 = 200円
海老てんぷら 400円 × 3セット = 1200円
枝豆      100円 ×  3皿 = 300円
刺身ミックス  1150円 × 3セット = 3450円
寿司弁当セット 500円 × 8セット = 4000円
-------------------------------------------------------------
小計                    11,780円
ディスカウント 10%         ▲ 1,178円
------------------------------------------------------------
合計                     10,602円

ちなみに、寿司弁当セットを完食したのは、私ともう1名(現地人)のみ。
海老てんぷらは1セットで8本くらいだったので、半分くらい余り、現地の
方にお持ち帰り頂きました。

<二次会@カラオケ@4名>

飲食費:                 23,000円
女の子代:  800円×3時間×4人=9,600円
---------------------------------------------------------
合計                   32,600円


うーむ。。。。。一次会は結構美味しかったし、リーズナブルだが、やはりカラオケは
結構高いな(^_^;

但し、超明朗会計で、単価も明記されてるし、女の子が付いた時刻と終わった時刻
まで正確に記載された領収書をもらったのは驚きでした。

しかも、毎回オーダー時に私のサインを求めてくるので、不思議な店だなと思いましたが、
私のサイン入りの明細まで(注文を繰り返した回数分の紙の枚数)添付されており、
翌朝改めて驚きました。

ジャカルタ(ブロックM)では、通常「総額」(明細なし)の領収書しかもらえないので、
翌朝「なんでこんなに高いんだ!?」と訳分からなくなることが多いのですが(^_^;


スマトラ島で「初」カラオケ(^_^;)

予定通りスマトラ島の完成間近な工場の視察と、就労ビザ・許認可関連・人事・経費関連の
打合せを終え、これからジャカルタ行きの飛行機に乗るところです。

色々とあっただけに、発注した機材が全て納入され、組み立てを終えて、小ぶりながら、
ちゃんとしたプラントに出来上がっている姿を見て感動しましたね。

現場監督で建設を最初から最後まで担当してもらった方に、プラントの重要部分をひとつひとつ
目視しながら、説明してもらいました。

夜は取引先の常駐者3名、出張者1名、プラント運営会社新社長と私、それからインドネシア人
社員2名の8人で小高い丘の上にあって眺めの良い日本食レストランで会食でした。

頂いた焼酎を持ち込んで、持ち込み料も取られなかったという事情はあるものの、8人で
腹一杯食って、結構良い気分になるまで飲んで、お会計は1万円ちょっと。

やはり、ジャカルタと比べると南部とは言え、スマトラ島の物価は安いですね。

調子に乗ってカラオケも言ったんですが、こちらは、ジャカルタとそんなに変わらない値段
でした。

私はスマトラ島のカラオケ屋に行ったのは今回が初めてだったんですが、以前行ったことある
人の話では、ジャカルタと比べると「もの凄く質は落ちる」し、女の子の人数も少ない
(数人しか居ない)と聞いてました。

11月から現地に長期滞在している取引先の現場監督(私と同い年で仲良くさせて頂いている
方なんですが)が、2軒しかなく、質の低いカラオケ屋以外に、もう少しマシな場所はない
ものか、積極的な調査を進めていた結果・・・・・

表通りから見ると、明らかに潰れて閉店している店があったらしいんですが、「何か怪しい
ものを感じる」と研ぎ澄まされた感性の彼は、細い路地を通って建物の裏側まで調査した
結果、どうやら当局に見つからないよう密かに隠れて開店している店があることを発見。

その時は、料金体系と営業時間を確認しただけで帰ったそうですが、昨夜「試しに行って
みませんか?」と誘われ、8人の内、希望者4人でTRYしてみることに(^_^;)

「お化け伝説」を聞いていただけに、「怖いもの見たさ」的に、初めてスマトラ島のカラオケ屋に
行ってみた訳ですが、なかなかどうして、結構粒揃いでしたよ。

22時過ぎの「売り切れ状態」なジャカルタのカラオケ屋より、よっぽど綺麗な女の子がたくさん
出てきました。

しかも、ジャカルタでは有り得ないレベルの明朗会計(これは別途詳細報告しますね)であり、
注文を入れるたびに「現時点までの総額は○○ルピアになっております」と中間報告が入り、
予算を超過しないように飲むことができました。

そのスマトラ島の地方都市には、本プロジェクト以外で長期滞在の日本人は居らず、カラオケ屋の
お姉ちゃんも、「日本人に会ったのは初めて!」みたいな感じ。

当然、日本語も英語も全く通じません(^_^;)

20年前に2年間インドネシアに駐在経験のある現場監督と、10年前に1年ほどインドネシア
滞在経験のあるプロジェクト技術総責任者と、ジャカルタ駐在1年半の私と、インドネシア滞在
実績1週間の新社長という4人のメンバーだったんですが、なんとかインドネシア語だけで
乗り切ることができました。

新社長君もメキメキとインドネシア語力を急上昇させております(^_^;)

●本日のローラー台:     30km




驚きの残業代システム(インドネシア労働法)

新会社の人事規定を作成するため、最近新設した別の会社の人事規定を参考までに
見せてもらったところ、残業代のシステムが恐ろしいことになっていることが判明。
人事部長に確認すると、これはインドネシアの労働法で定められている基準らしい。

<平日>

最初の1時間は時給の150%、2時間目以降は200%。
1日の残業は最大3時間まで。

<休日>

最初の8時間は時給の200%、9時間目は300%、10時間目以上は400%(!!)

つまり、時給150円くらいの運転手を、休日に朝6時から夜22時まで16時間使ったとすると、

150円 x 200% x 8時間 = 2400円
150円 x 300% x 1時間 =  450円
150円 x 400% x 7時間 = 4200円

時給150円の運転手の月給って、精々2万円くらいです。

私はゴルフを殆どやりませんが、毎週ゴルフをやり、休日夜まで使っていた前任者の時代は
週末2日だけで、14000円くらいの残業代を稼いでいたことになります。

しかも、運転手ですから、「待つのが仕事」
早朝に30-40分運転してゴルフ場に行き、プレイと食事が終わるまで、ずっと昼寝。
ゴルフ場からマッサージ屋に移動して、また2時間くらい昼寝。
夜は飲み屋に行って、そこでもずっと待機。

実働2時間程度、あとは14時間待機してるだけで、14000円の残業代が転がり込んでくる
仕組みになっているのです。

こういう生活パターンの駐在員(特に単身赴任者)、少なくないですからね(^_^;)
私は全然違うけど。

人事部長によると、残業代が月給の10倍とかになるケースも珍しくないと。
つまり月給2万円、残業代20万円ということ。

うーむ、これは凄い。
私に代わって、休日あまり運転手を使わなくなったので、彼の収入は激減してるってわけかぁ。。。




あり得ない価格差(^_^;

現在スマトラ島に出張中なんですが、今回泊まっているホテルは、一泊6,000円程度とリーズナブル
なんですが、ルームサービスの酒代が以上に高い(^_^;

昨夜は頼んだ料理は1000円未満なのに、酒代だけで3000円近く取られた。
ビール大瓶3本頼んだだけなのに。 1本1000円近く取られてしまった。
なので、合計金額は4000円弱。 
一人分のルームサービスですよ(^_^;

それに引き換え、本日の夕食はホテルとは別の、結構綺麗で、美味しいことで有名な(B級グルメの
前任者も気に入っていた)中華料理屋で3人だったんですが、内訳は以下の通り。

ビール大瓶(単価300円) 4本 = 1200円
トムヤムクンスープ           500円
スチーム魚               950円
野菜炒め                300円
鹿肉の料理               500円
ご飯(1人分)               60円
--------------------------------------------------------
合計                  3510円

ちなみにビール大瓶は3本分は私が飲んだので、飲んだ量は昨夜と同じ。
3人とも腹いっぱい食って、昨夜のルームサービス以下(^_^;

物価って不思議ですよね。
ってか、ホテルが酒で儲け過ぎ(>_<)

ちなみに、地元ビールの「Bintang」大瓶は市販価格が260円くらいです。
それを300円で提供してくれるレストランには大喜びですが、1000円で提供するホテルには
閉口しますよね(^_^;







8/17 インドネシア独立記念日

今日はインドネシアの独立記念日です。

インドネシアは16世紀から20世紀に至るまで、実に350年もの間、オランダに植民地として支配され
大東亜戦争で日本がオランダを駆逐した後、3年半ほど日本の統治下にありましたが、日本の敗戦後
速やかに(1945年8月17日)独立宣言をし、戻ってきた英蘭軍を日本人残留兵士と共に撃退し、
事実上の独立を勝ち取ったのであります。

当時から60年以上もの年月が経過しているので、日本人の若者はおろか、インドネシア人の若者ですら
独立当事のことを良く知らない人達も居るようですが、戦後長きに亘って、インドネシア人が親日的で
あったのは、徹底的な弾圧支配だったオランダと違い、日本がインドネシアを独立させることを前提に
支配していたこと、実際に独立戦争に多くの日本兵が参戦し、前線で戦い、多くの犠牲を出したことも
大きく影響しています。

今でも親日的と言えば親日的ですが、20年前30年前と比べると、それほど「日本人は素晴らしい」
というほどには思われてないのが残念ではありますが(^_^;)

去年も今年もラマダン(断食月)の最中に独立記念日を迎えた訳ですが、実際に独立宣言をした
1945年の8月17日もラマダン月の最中だったそうです。

イスラム暦(ヒジュラ暦)をご存じない方は、「毎年8月17日はラマダン中になんじゃないの?」と
思うかもしれませんが、ヒジュラ歴は太陰暦で1年が「354日」です。

なので、グレゴリウス暦(西暦)とは毎年11日(閏年の場合は12日)ずれてきます。

私が初めてラマダンを意識したのは初めて中東を担当した1989年であり、当時は4月がラマダン
でした。

その後少しずつズレていき、3年で1ヶ月早まります。
つまり4月が3月に、そして2月に1月にと少しずつ早くなって行くわけですが、春から冬、秋から
夏に移行し、最近は真夏の8月がラマダン月になっております。

つまり約33年で元に戻る(イスラム暦の34年は、西暦に33年に相当する)計算になるので、
今年で独立後、西暦で67年を迎えるインドネシアは、イスラム暦(ヒジュラ歴)では、独立から
69年が経過したことになるわけですね。

つまりラマダンが西暦を2周した計算になるわけです。

しばらくは(特に緯度の高いところは)、断食せねばならない日の出から日没までの時間が長く
かつ暑い夏ということもあり、大変な年が続きますね。


●本日のローラー台:   32km





インドネシア 就労ビザがなかなか取れない(^_^;)

今週は出張がないんですが、来客も多々あり、何だか妙に忙しい。

さて、一昨日は工場建設現場を視察してきたんですが、今までずっと事務屋だったので、売り買いの
交渉は慣れていたものの、工場建設を発注するなんて初めてのことで、まだ土木作業の段階では
ありますが、自分が契約して発注した作業が実際に行われているのを見るのは感慨深いですね。

9月からは機材の据付けが始まるので、現場に監督員として大勢の日本人が入ってくるのですが、
そのビザの手配が大変です。

通常の出張者(視察や交渉を目的とする)であれば、出張ビザで対応できるのですが、2-5ヶ月の
期間限定の監督業務とは言え、現場で実際に作業服着て、機械の操作もするようなポジションの場合、
出張ビザではなく「就労ビザ」が必要となります。

出張ビザでそういう仕事をしているのが当局にバレると逮捕の上、強制送還となってしまいます。
ところが、この「就労ビザ」というのがなかなか取れない。。。。

というのも、基本的にインドネシア政府としては、自国民の雇用を確保したいので、外国人の就労は
避けようとするのが原則。

しかし、インドネシアで働く外国人が、自国民を教育し、よりハイレベルな業務をこなせるようにして
くれるのであれば、長い目で見れば国益となることから、例外的に外国人の就労を認めようというのが
基本方針です。

実際に就労ビザを申請する際には、最低でもインドネシア人2名の実名を挙げて、「この人とこの人を
指導する立場として勤務させる
」と記載せねばなりません。

なので、インドネシア人でも十分にできるような(できるように見える)仕事に就くことは禁止されており、
特に工場や現場で作業服を着て働くような人はよりチェックが厳しくなります。

今回の場合、実際には経験豊富で、インドネシア人には真似できないような仕事をしてもらわねば
ならないことから、日本人技術者に対する就労ビザを取得しようとしているのですが、労働省の担当官
からしてみると、本当に外国人でしかできない仕事なのか判断がつかないわけです。

なので、なかなかビザが下りないし、そもそも「外国人枠」を取得・維持するのが難しい。

工場用の機材は着実に出来つつあり、リミットも迫っている現状、焦りを感じております。。。。。


●昨日のローラー台:    14km


今日明日は取引先との会食となるので、ローラー台は焦げません。
最近、平日に飲まずに帰宅する日って週に1日あるかどうか。
土日も飲み会が入ることありますしね。

まあ、家で自炊するのは、週に2回程度かなぁ。。。。



インドネシアで標準時統合は本当に必要か?

ご存じの方も少なくないとは思いますが、現在インドネシアでは、東西に広い国である
ことから3つに分かれている時間帯を、ひとつに統一しようという動きがあります。

以下は日経新聞からの抜粋

(引用)

 国土の東西が米国とほぼ同じ約5千キロメートルにおよぶ島国のインドネシアで、現在3つある時間帯を1つの標準時に統合する議論が加速している。政府は10月28日を移行日の最有力候補とし、関係省庁に調整を指示。全土を中国やシンガポールなど、既に15億人を超えるアジアの経済圏と同じ時間帯に統一することで、ビジネスの効率化や資本市場の活性化を図る。

 西部・中部・東部の3つの時間帯のうち、英国グリニッジ標準時(GMT)に8時間先行する「GMT+8」圏に属する中部時間に統一する。日本企業が多く進出し経済活動の中心地であるジャカルタやジャワ島は「+7」圏にあるため、日本との時差は現在の2時間から1時間に縮まる。

 シンガポールやマレーシアは経度でみるとジャワ島と同じ「+7」圏だが、既に中国と同じ「+8」を採用している。(ジャカルタ=渡辺禎央)


(引用終わり)

日本とジャカルタの時差は2時間(日本の8時が、ジャカルタの6時)ですが、
ジャカルタより西に位置しているシンガポールは、日本との時差が1時間しか
ありません。(本来なら、2時間半くらいなければいけないところですが)

現在ジャカルタの夜明けは朝6時ちょっと前ですが、ジャカルタより西にある
シンガポールの方が1時間早いので、シンガポールでは朝7時でもまだ薄暗い
感じです。(朝6時は真っ暗)

もし、ジャカルタがインドネシア中部時間に統一されてしまうと、シンガポールと
同じ状況になってしまいます。

業務上の理由で夜明け前に起きなければならない、あるいは加齢により、夜明け前に
目が覚めてしまうという方も少なからずいらっしゃると思いますが、私は個人的に
夜明け前に起きるのは好きではなく、実際に起きるのはとても辛いです。

50近い年齢になって、7時近くまで寝てるって、どんだけ寝坊なんだと怒られ
そうですが、私の場合、寝室のカーテンは開けっ放しにしており、6時前の夜明けと
共に段々と寝室が明るくなり、その自然光のおかげで、目覚ましをかけなくても、
7時前には自然と目が覚めるという、自分としては極めて健康的な目覚めでは
ないかと
満足しているのですが。。。。(^_^;)

シンガポールが、実際の日の出時間と関係なく、「GMT+8」にしている理由は
経済的なものらしいですが、インドネシアのように東西に広い国で、同一時間に
統一するメリットがそこまであるのだろうかと若干疑問に感じてます。

私は今まで日本を含め「5つ」の時間帯の場所に駐在し、仕事をした経験が
あります。

1)GMT+9 (日本)
2)GMT+0 (アフリカ) 日本との時差9時間
3)GMT+3 (中東1)     同  6時間
4)GMT+4 (中東2)     同  5時間
5)GMT+7 (ジャカルタ)   同  2時間



さすがに本社のある日本との時差が5時間以上あると、何かと不便ですし、3時間の
時差であっても、主要市場との乖離は、金融市場的には色々と支障があるのも理解
できます。

しかし、1時間くらいの時差なら、それこそ業務上の必要性に応じて、業界ないしは
会社単位で、始業時間を早めるとか、あるいはその必要がある担当者が時差出勤する
ことで、対応すれば良い話であって、時差の影響がない人たちも含め、国全体で
時間帯を変更する必要はない(弊害の方が多い)のではないかと考えてしまいます。

さて、この議論、結末はどうなることやら(^_^;)

●本日の走行距離:   25km (ローラー台)


ミナンカバウ人(パダン人)について

今日は久しぶりに朝から晩までスマトラ島のパダンというところに出張(お客さんが5人も来て、
明日の晩は空港からそのまま会食となる予定)なので、この記事は予約投稿となります。

赴任直後の8・9月は立て続けに3回くらいパダンに行ったんですが、以来ご無沙汰して
おりましたが、久々のパダン訪問です。

スマトラ島自体はその後も何回も行ってるんですが、ここ数か月は南部のランプンばかりで
スマトラ中西部に位置するパダンに行くのは久しぶり。

スマトラ島には、北部のメダンとか、南東部のパレンバンとか、大都市もあるんですが、
パダンもそれらに次ぐ規模の町です。

パダン人と呼ばれる人たちは、「ミナンカバウ人」とも呼ばれており、伝統を守る民族です。


(引用始め)

ミナンカバウ人(インドネシア語:Suku Minangkabau、あるいは、ミナン人やパダン人の名前でも知られている)とは、インドネシア・西スマトラ州の高地に住んでいる民族集団である。ミナンカバウ人は母系社会として有名であり、財産や土地は、母から娘に相続される。いっぽう、宗教的儀式や政治の中心を担うのは、一部で女性が重要な役割を果たすとはいえ、男性が中心となって行われている。

西スマトラ州を中心に400万人が居住していると考えられているが、300万人以上が、インドネシアやマレーシア半島部の都市に居住している。

ミナンカバウ人は、厳格なイスラーム教徒である一方で、アダットと呼ばれる現地に生き残る慣習も大事にしている。彼らの慣習は、イスラーム到達以前より生き残っている精霊信仰(アニミズム)に起源を持つ。現在のイスラームとアダットの関係は、「アダットはイスラーム法を基本としており、イスラームはクルアーンを基に成立している」という言葉で叙述される。

<語源>

ルマ・ガダン。西スマトラで顕著に見られるミナンカバウ人の住居
ミナンカバウという言葉は、2つの単語の合成語である。すなわち、勝利を意味するminangと猛牛を意味するkabauである。ミナンカバウ人と対立していた王子が境界をめぐる争いを行っていたという伝説がその名前の起源とする。

その伝説によると、戦いを避けるために、二頭の水牛を争わせる事を現地の人々が王子に提案した。王子はその提案に賛成し、その戦いには大きく、もっとも凶暴な水牛を戦わせることとした。一方、ミナンカバウ人は、ナイフのように切れ味が鋭い角を持ち、飢えていた赤ちゃんの水牛を戦わせることとした。戦いになると、赤ちゃん水牛はミルク欲しさに、大きな水牛のあとを走り回った。大きな水牛は赤ちゃん水牛に対し、虞を感じなかったため、赤ちゃん水牛を自らのお腹の下に招きいれてしまった。赤ちゃん水牛はお腹の下に入り込み、上を見上げると、その鋭い角で大きな水牛の胸を破裂させてしまい、大きな水牛は死んでしまったという。

ミナンカバウ人の伝統的住宅をルマ・ガダン(en)と呼ぶ。ミナンカバウ語で「大きな家」を意味する彼らの住宅の屋根は、まさしくこの伝説の赤ちゃん水牛の角をモチーフとしている。

(引用終わり)

私の部は、私の下に営業職3名、事務職2名がおりますが、明日の仕事に同行するのは、パダンを
故郷に持つ「ミナンカバウ人」の営業マンです。

また、パダンと言えば、有名なのは「パダン料理」であり、ジャカルタ市内でも郊外でもパダン料理
のお店はたくさん見かけます。

その特徴はとにかく辛いこと。
「サンバル」という香辛料を使わない限り、辛さにおいては特徴のないインドネシア料理の中で
パダン料理(ミナンカバウ料理)だけは群を抜いて辛い。

辛いものフリークの私としては、パダンに行く楽しみは、この辛いパダン料理が食べられること
ですね。

(引用始め)

典型的なミナンカバウ人の料理は、コメ、魚、ココナツ、葉野菜、唐辛子を使う。特別な場合を除き、肉類を用いることは限られていて、牛肉と鶏肉が主に摂取される肉類である。豚肉は、ハラールではないため使用されることはまずなく、一方で、羊、ヤギ、猟獣もまれに摂取される。辛味がミナンカバウ料理の特色であり、香草とともに、唐辛子、ターメリック、ショウガが使われている。野菜は一日に二回ないしは三回の食事で摂取され、果物は主に旬のものを摂取されるが、バナナ、パパイヤ、柑橘類は一年中入手が可能である[9]。

1日に3回の食事が、ミナンカバウ人の標準的な食事スタイルであり、昼食が最も重要な食事とされている。もっとも、ラマダンの際は、例外であり昼食は摂取できない。食卓は、ご飯、揚げた魚、ココナッツミルクが中心であり、朝食と夕食の際にはこれに若干のバリエーションが加わる[9]。菓子類に関しては、田舎に居住するものよりもむしろ、都会に居住するものが摂取することが多い。西洋料理がミナンカバウ人の食卓に上ることはない[9]。

ルンダンは1年に4から5回は食卓に上る機会のある、典型的なミナンカバウ料理である[9]。そのほかの有名な料理では、アサム・パデ、ソト・パダン、サテ・パダン、デンデン・バラド(牛肉のチリソース)がある。

食事はミナンカバウ人の儀式において中心的な役割を果たしている。

ミナンカバウ料理は、インドネシア人の間では人気も高く、インドネシア国中にミナンカバウ料理のレストランがある。西スマトラ州の州都の名前にちなんで名づけられたナシ・パダンでは多くのミナンカバウ料理を食べることが可能であり[10]、ナシ・カパウは、ナシ・パダンとともに香辛料をふんだんに使ったミナンカバウ料理を食べることが出来る。

(引用終わり)


●昨日の走行距離:  22km (夜ローラーのみ)

最近、平日でもローラー台を20km漕ぐのが苦ではなくなりました。
固定ローラーなんで退屈なんですが、テレビ見ながらのんびり漕いでます(^_^;)

固定ローラーは脚を止めることができないので、実走よりも筋肉を使うように感じます。
ローラーを毎日20kmくらい漕いでいると、常に腿が張ってるような感覚です。
距離は短いけど、多少は効果があるのかな。


●本日の走行距離:   ??km (朝ローラーのみ)



プロフィール

Muirwoods

Author:Muirwoods
2010年1月、45歳にして、短距離通勤用として購入したクロスバイク(MARIN Muirwoods、26インチMTB仕様)がいつのまに生活の中心的存在となり、Muirwoods号で300キロ超のロングライドに挑戦し、2010年末46歳でロードバイクデビューしました。

ロードバイク1台目は「Cervelo RS」。
11年7月にジャカルタに赴任、CAAD10を新規購入して持ち込みましたが、事故で大怪我をしてしまい、現在自転車活動は休止中です。

本年10/10を以って50歳になりした。
50代の10年も、頑張ります!!

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