予約投稿が続きます(^_^;)
1ヶ月以上前に、ネタがないときの昔話シリーズの一環として、「
たまには
スキーの話でも」というタイトルで記事を書きましたが、その後、割とネタが
あったので、続編がありませんでしたが、今日明日で一週間分の記事を書かねば
ならないので、ネタに困ったときの「昔話」シリーズで行ってみようと思います
(^_^;)
「
前回の記事」
さて、日本で初の冬季オリンピックだった札幌オリンピックが閉会してから
2ヶ月も経たないタイミングで、少年Muirwoodsは札幌に引越しすることに
なりました。
そして、運命の1972年11月、8歳になったばかりの私は、生まれて初めて
スキーを体験することに。
当時の札幌では、冬の間は運動場が雪に覆われて使えないため、冬の体育の
授業は週1回のスキーに集約されてました。
学校まで、スキーを担いで行き、給食が終わった午後、スロープと呼ばれる、
リフトも何もない、滑れる坂に行き、そこでスキーをやってました。
私は「札幌市立山の手小学校」というところに通っていたのですが、近くに
「三角山」というのがあり、「宮本スロープ」というのと「赤坂スロープ」
というのがありました。
いずれも、宮本さんや赤坂さんが、ご好意で私有地を開放していた場所です。
生まれて初めてのスキーであり、しかも小学校2年生だったので、既に1年生
のときにやってた子供達より明らかに遅れていたわけですが、1級~4級に
分けられるクラス分けの試技で、なぜか一番下の4級ではなく、ひとつ上の
3級に入れてもらうことに。 脚力があると思われたからだろうか。
当時のスキー板の素材は、「単板」という単に板を切り出しただけのものが
一番安く、次に「合板」というのがあり、これは複数種類の板を合わせて
作るもの、そして高値の花である「
グラスファイバー製」のスキー板が
君臨してました。
私が買い与えられたのは、当然のことながら、一番安い「単板」。
同学年(小2)の大半は「単板」が「合板」であり、「グラス」なんて
高級品を履いていた子は、1級に一人居たか居ないかでしたね。
でもって、ビンディングは「
カンダハー」です(^_^;)
あの、手でガッチャンとはめるやつですね。
手を使わずにはめられる「
ワンタッチ」ってやつも出始めてはいたようですが、
「グラス」同様、小学生には高値の花でしたので、皆当然のごとく、カンダハー
でございます。
そして靴も、「インナー」がない1枚構造であり、かつ「ひも靴」でした。
でも、バックルがついた靴を履いている子も少なからず居ましたね。
インナーがないので、分厚い靴下を2枚重ねで履きます。
しかも、高さがくるぶしまでしかないので、簡単に骨折します(>_<)
靴もさることながら、カンダハーというビンディングは、転倒時に自動解放
されないので、カンダハーと古いタイプのスキー靴という組合せは、足首の
骨折リスクの高いものでした。
今のスキー靴は高さがあるので、足首の骨折は少ないですが、その分
膝の故障が増えましたよね。
さて、今日はここまでです(^_^;)