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「BKM48」!?  学芸会風で微笑ましかったです♪

先週の木曜日、出張者(社内・後輩)を連れて、事故後初めての二次会解禁
ってことで、行きつけの「樹林」に行ってきました。
(一次会も先輩出張者と散々飲んだあとなんですがね(^_^;)

さすがに、酔っ払って転ぶ訳には行かなかったので、ハイボール5杯くらいしか
飲んでませんが、店員の女の子から「入場券」を買わされました。

土日に行われるブロックMでの「縁日祭」のチケットかなと思い、興味は
あったので、ほろ酔い気分でもあり、深く考えずに1500円弱で購入。

土曜日になってみて、改めてその入場券を良く読んでみると、縁日祭そのもの
の入場券ではなく(縁日祭自体は入場無料)、「BKM48」のコンサート(?)の
入場チケットであることが判明。

さて、日本の「AKB48」の姉妹グループである「JKT48」というグループが
ジャカルタで活動していることをご存じの方も少なくないと思いますが、
当初、縁日祭の主催者は、このジャカルタでは知名度の高い「JKT48」を
誘致したかったらしいのですが、交渉が上手く行かなかったことから、自前で
「BLOCK-M」を短縮して「BKM48」というグループを作ってしまいました。

メンバーはカラオケ屋のお姉さんを中心に、ブロックMで働く従業員13名で
構成されていると。

私に入場券を売りつけた樹林の店員もメンバーに入ってます。

ということで、折角お金払ったので、見に行くことにしました。
場所は、樹林の姉妹店「GOEN」です。

GOENのお店紹介はここ

Kebayoran Baru-20120630-00957

DSCN2976.jpg

DSCN2959.jpg




動画はこちら


まあ、「AKB48」自体「学芸会のノリ」と言われているそうですが、それを真似た
「JKT48」、さらにそれを真似た「BKM48」ですが、まさに学芸会のノリ。

2ヶ月みっちり歌と踊りを練習したそうで、とても微笑ましいライブでしたよ。

結局、最後の最後で「JKT48」も誘致に成功したそうですが、知り合いの居ない
そちらには興味がないので、私が鑑賞したのは「BKM48」のみです。

●本日の走行距離:   25km (ローラー台)


帰りは激混みで、運転手が駐車場から出てこられず、やむなくジャカルタ`初の「バジャイ
(オートバイに幌を被せたような、最大定員3名くらいの乗り物)で帰宅しました(^_^;)

Kebayoran Baru-20120630-00958

DSCN3003.jpg


但し、メインストリートには入れないので、途中からタクシーに乗り換えましたが。
ちなみに料金は。。。。

バジャイ:  50円  (プラス、タクシーを捕まえてもらったチップ50円)
タクシー: 180円

合計230円で帰れました。

お酒は高いジャカルタですが、交通機関は安上がりですね。








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自転車に乗れない週末

先週末(土日)は移動も用事もなく、自転車にも乗れないので、昨年8月に今のアパートに引っ越してきて
以来、一度も行ったことのないプールに行ってみました。

泳ごうかとも思ったのですが、左の手足がまともに動かせないので、いかなる泳法も不可。
結局、水中歩行リハビリに終わりました。

私の住んでいるアパートは、同じ建物の中にホテルとアパートを併設しているので、ジムやプールは
ホテルと共用となってます。

Tanah Abang-20120630-00952

Tanah Abang-20120630-00953


ちなみに私は、今より少し若い頃、年齢で言うと30代後半から40過ぎくらいまでの頃は、プールで日焼け
するのが好きで、毎週のようにプールで数時間甲羅干しをしておりました。

当時はビキニパンツを好んで履いていたので、夏場は、ごく限られた部分以外はバッチリ日焼けしている
ことが多かったですね。 

がしかし、直近の5年くらいは、すっかりプールとは縁遠くなってしまい、特に自転車に乗り始めてからは、
プールや自宅の屋上でのんびりしている時間があるなら、自転車に乗りたいと思っていたので、水着で
日焼けなどする時間はありませんでした。

強いて言えば、年始にバリ島に行った際、数時間日光浴を楽しみましたが、その1回を除くと、実に
5年ぶりの日光浴かもしれません。

3週間前まで自転車乗りであったことから、日焼け具合としては、下半身は膝上から踝まで、上半身は
顔と腕の途中からしか日焼けしておらず、腿や腹、肩から腕の上部は真っ白なままです(^_^;)

昔、受験生だった高校3年生のとき、一日だけ休みがあったので、折角だからと日焼けしようと、全く
下地の出来てない状態だったにも関わらず、朝から夕方まで、日焼け止めも塗らずに10時間近く
湘南の海辺で日光浴し、全身火傷を負った苦い経験があるため、最初は慎重に臨みます。

土曜日は日陰で1時間半ほど寝ていたあと、30の日焼け止めを塗って30分直射日光に当たって
終わり。  2日目は日焼け止めを塗って1時間ちょっと日光に当たったでしょうか。

なので、薄っすらと色が着いた程度ですが、全然かゆくも痛くもありません。

でも不思議なもので、慣れない日焼けをすると、結構疲労するものですね。
2日連続の日焼けの前後に25kmほどローラーを漕いだら、すっかり眠くなってしまい、珍しく夕方に
1時間ほど昼寝してしまいました。

いつもなら、日曜日の夕方はマッサージに行くのですが、まだマッサージに行くのはヤバイ(変な
ところに力を入れられると骨がおかしくなりそう)ので、それも我慢です。

しかし、夜はワインを飲むとテキメンに眠くなり、21時前後に就寝し、朝7時近くまで寝てしまいました(^_^;)
普通夕方に昼寝すると寝付きが悪くなると言いますが、ワインの力は絶大です。


さあ、今日もそろそろ飲みたくなってきたな。
どうも、事故&手術後、ジャカルタに帰任してから、まっすぐ帰宅したくない心境です(>_<)

家に独りでいると憂鬱になるんですよね。。。。。。



そう言えば、昨日、悲しい事故がありましたね。


160キロ自転車レースで転倒、死亡 静岡

 静岡県小山町中日向の「富士スピードウェイ」で1日午前10時ごろ、自転車レース大会「フジ55」に出場していた愛知県豊橋市大手町、会社員清水堅司さん(33)がコースで転倒した。清水さんは頭を強く打ち、搬送先の病院で2日午前3時50分に死亡した。

 県警御殿場署や富士スピードウェイ社によると、清水さんは一般参加でコースを35周(160キロ)するレースに出場していた。同大会はフジテレビなどの実行委員会が主催。メーンは1人で55周(250キロ)する日本最長レースとして知られる。大会には各部門計3千人が参加していた。

 同署が転倒時の状況を調べている。


<追記> どなたかのブログから抜粋

これたぶん第一コーナーで起きたやつだと思う。自分の目の前で起こって、私ももこの落車に巻き込まれそうになりました。

私は無事かわせましたが、落車した人が、コースの真ん中で倒れてて、そこに時速60kmぐらいだと思うけど、ものすごい勢いで後続の人が突っ込んじゃって・・・・。



いろんなところで何回か落車が発生していたから違うやつかもしれないけど・・・、走ってた中ではあれが一番大けがっぽかったです。



目の前で起こった落車が、死亡事故になってしまったと思うととても恐ろしいです・・・。

巻き込まれなくてよかったと思うと同時に、お亡くなりになった方のご冥福をお祈りいたします。


------------------------

このレース、実は昨年、赴任前最後のレースってことで、出る気満々だったんですが、かみさんから
「何考えてるのよ!」「こんな時期に有り得ないでしょ!」と却下された因縁のレースです。

亡くなった方は、ヘルメットは被ってたでしょうし、後続の車に轢かれた訳でもないでしょうに、
やはり打ち所が悪いと死に至る自転車事故。

怖いですね。。。。。。




なんとか靴下は履けるようになった(^_^;)

先日「靴下が履けない」という記事を書きましたが、その後、だいたい1日に5mmほど可動範囲が
広がってきたので、どうにか強烈な痛みを覚えずに1分以内で靴下は履けるようになりました。

靴下履きマシーンですが、先週末に製作をTRYしたのですが、元来不器用でものづくりを苦手と
する私なので、ズボンのベルトや、長い靴べら、紐などを使って15分くらいチャンレンジしたのに
上手くできなかったので、あっさり諦めてしまいました(^_^;)

幸い、上述の通り、どうにか履けるようになったこともあり、まあ良しとしましょう。

最大の手術ポイントであった人工股関節は今でも痛くて、ちゃんと歩けないのですが、まあ杖なしで
ゆっくりなら歩けるし、階段の上り下りもだいぶできるようになってきました。

一方、次に大きな手術だった鎖骨ですが、こちらは術後2週間ほどは殆ど痛みを感じなかったのが、
ここに来て結構な痛みとなってます。
これはきっと完治する過程での痛みではないかと勝手に推測し、耐えておりますが、左手だけでは
持ち上げることができず、右手で支えてキーボードまで誘導してやらないと、タイピングすらできない
状態です。

でもって肋骨。
これは事故直後から強烈に痛く、退院後もずっと痛み続けておりましたが、ここにきて少しだけ
痛みが治まりつつある感じです。   でも、まだまだ痛いんですが(>_<)

あまり飲み過ぎるのもどうかと思い、昨夜は抑え目にしたところ、案の定、全く熟睡できず。
本日は寝不足で辛かったです。

しこたま飲んで寝ると熟睡できるので、翌日は楽なんですが。。。。。。

●本日の走行距離:   8km  (朝ローラー)

ローラー台の上り下りもだいぶ楽になってきました。

きっと、遅々として、回復に向かっているのでしょう!!



さて、本題と関係ありませんが、今日は母の76歳の誕生日です。
昨年1月に伴侶である私の父を亡くしてから1年半、寂しさに耐え、頑張って生きてます。

私に丈夫な身体を与えてくれた両親には大感謝ですが、こんな形で親より先に人工関節など
入れてしまう羽目になったのは親不孝ですよね(>_<)

76歳まで元気で生きている女性は90歳過ぎまで元気な可能性も高いそうですが、せめて
親より先に死なないよう(→これが最悪の親不孝)、私もあと15年、いや20年は元気で
居なくてはいけませんね。

15年後は62歳、20年後は67歳、大病せず、事故にも遭わずに、生き続けたいものです。



<追記>

さっそく、お酒好きの新社長から、じきじきにお誘いがありましたので、今から打合せを1時間くらい
済ませた後、合流する予定です。

今夜はぐっすり眠りたいな(^_^;)





仕事の話と「晩酌セット」

5月末から6月にかけて揉めていた申請事項(A)につき、シンガポールまで出張して時期談判した
ものの、結局承認が下りたのは6/8(金)の夕方。

その日は飲みに行きたい気分だったので、承認を受けての手配は週明けでも良かったのですが、
虫が知らせたのか、飲みに行くのは諦め、その日は深夜まで残業し、やれることは全部済ませて
週末を迎えました。

何をやったかと言うと、やっと承認をもらえた契約書に署名をして、複数の取引先に送付することと、
新たな申請事項(B)を、内容不備なまま、若干フライング的に社内展開開始(具体的には書類に
サインをし、審査担当者のデスクに置いてきた)しておきました。

深夜残業の翌々日、私は事故に遭い、シンガポールに緊急搬送されたわけですが、申請書類(B)は
私が手術を受け、病院で痛みにのた打ち回っている間、一週間かけてインドネシア法人内で回覧され
所内決裁の上、シンガポールに送られました。

それを受け、タイミング良く(??)シンガポールに居た私は、シンガポールの審査・投資担当者と
打合せを行い、更なる決裁を取得すべく手配をすることができました。

でもってやっと昨日、最終決裁が下り、ここ数ヶ月間苦戦していた案件をようやく進めることができる
体制が整ったわけです。 申請(A)と(B)は同じ案件。

もし、6/8(金)に飲みに行ってしまったら、2週間以上を無駄にし、致命的な事態になっていたところ
でした。 こちらも不幸中の幸い。

------------------
話は変わり、6/23にジャカルタに帰任以来、どうも家で独りで飲む気分になれず(独りで飲んでいると
気分が塞いでくる)、なんやかんや理由をつけて飲みに行ってます。

それでも口実が見つからないときは、アパートの下にある居酒屋に行くんですが、そこの晩酌メニュー
なかなかお得。

Rp130,000(約1100円)で、ビール2本と、焼き物3本、つまみ2品、食べ放題のキャベツ(味噌付)が
出てきます。


さすがに素面で行くと、ビールが2分でなくなるので、家でウィスキーを引っ掛けて、ほろ酔い気分で
行くようにしてます。

焼き物とつまみだけでも結構満足ですが、腹一杯になるまでキャベツを食べ続けるので、ヘルシーかつ
満腹度も高い。

もっとも、家に戻ってからも飲み続けるのですが、どうも台所に立つ気が起きないので、この浜松町的
値段設定は嬉しいものがあります。

昨夜は社長に誘われ、ヘロヘロになるまで2軒飲んでまいりました。
「転ばないように」と気を張っているので、その場ではそんなに酔ってないのですが、やはり翌朝は記憶が
曖昧で、財布の中身を見て、いくら使ったか確認しなくてはなりません(^_^;)

毎晩のように飲んで散財していると、随分浪費しているかのように思われそうですが、私の場合「飲み代」
にしかお金を使ってない(この1年間、モノを買った記憶は殆どない)ので、事務所内で唯一、最低ランクの
現地給与支払額
で済んでます。

この金額で済んでいるのは、対象20名くらいの内、どうやら私一人だけという話。
現地支払を受けない分は、円転され、日本の円口座に支払われるので、ここから留守宅の生活費、
住宅ローン、教育費などを捻出しております。


●本日の走行距離:  11km (夜ローラー)


新城選手・ツールで大健闘!

昨夜20時頃に帰宅し、ふとテレビを付けると、ツールドフランスの生中継をやっており、
新城選手がトップを走っているのを見て感動し、残り約130kmをずっとテレビにかじり
ついて見ておりました。

以下、ネットで見つけた記事の抜粋です。


「新城、ツール・ド・フランスで日本人初の表彰台 アタックを決め敢闘賞」

http://sankei.jp.msn.com/sports/news/120705/oth12070506530002-n1.htm

2012.7.5 06:50 [ワールドスポーツ]


http://cyclist.sanspo.com/6126


日本人で初めてツール・ド・フランスの表彰台に立ち、敢闘賞の盾を受け取る新城幸也(AP)
 ツール・ド・フランス2012は4日、第4ステージがアブヴィルからルーアンまで214.2キロで行われ、スタート直後にアタックした日本の新城幸也(チーム ヨーロッパカー)が3人での逃げを決めて約200kmを先行。この日の敢闘賞を受賞した。

 新城らの逃げを吸収したメーン集団は最後ゴールスプリント争いとなり、アンドレ・グライペル(ドイツ、ロット・ベリソル チーム)が優勝した。総合はファビアン・カンチェッラーラ(スイス、レイディオシャック・ニッサン)が首位を守った。

 新城はこの日110位でゴール。しかしスタートから終始積極的に攻め続けた走りが評価され、敢闘賞に選ばれた。

 日本人のツールでの敢闘賞は2009年の最終ステージで別府史之(現オリカ・グリーンエッジ)が受賞して以来の2人目。別府の受賞時はステージでの表彰が省略されていたため、この日の新城がツール史上初めて表彰台に上った日本人となった。(サイクリスト取材班)


スタートから逃げ続けた新城幸也が敢闘賞 日本人初のツール表彰台に上る グライペルが待望のスプリント勝利
2012/07/05 00:52更新
シェア  ツール・ド・フランス2012は第4ステージ。アブヴィルからルーアンに至る214.2kmで行われ、スタート直後にアタックした日本の新城幸也(チーム ヨーロッパカー)が3人での逃げを決めて約200kmを先行。この日の敢闘賞を獲得した。


この日の敢闘賞を獲得した新城幸也(チーム ヨーロッパカー)。日本人選手で史上初めてツール・ド・フランスの表彰台に上った
 新城らの逃げを吸収したメーン集団は最後ゴールスプリント争いとなり、アンドレ・グライペル(ドイツ、ロット・ベリソル チーム)が優勝した。総合はファビアン・カンチェッラーラ(スイス、レイディオシャック・ニッサン)が首位を守った。


ここまで早くもステージ2勝。スタートでサイン攻めにあうペテル・サガン(スロバキア、リクイガス・キャノンデール)
アブヴィルの街をスタートする選手たち
 この日はノルマンディー地方の海岸線を100km以上走る平坦基調のコース。新城がアマチュア時代に過ごしていた馴染みのある地域でもある。スタートのパレードの後、実スタートの合図が出された瞬間に最初のアタックを仕掛けた新城は、そのまま3人の逃げグループを形成することに成功した。


昔、住んでいた町の近くを通ってご機嫌の新城
海沿いの町を行くプロトン
 逃げグループ、新城とダヴィド・モンクティエ(フランス、コフィディス ルクレディアンリーニュ)、アントニー・ドゥラプラス(フランス、ソール・ソジャサン)の3人はメーン集団に最大8分半の大差を付け、この中で一番総合順位が上である新城が一時、暫定総合首位「バーチャルマイヨジョーヌ」となる。


現在、総合3位につけるシルヴァン・シャヴァネル(フランス、オメガファルマ・クイックステップ)
今年のジロ(イタリア一周レース)を制したライダー・ヘシェダル(カナダ、ガーミン・シャープ・バラクーダ)
 しかし集団もスプリンターを擁するチームが中心となって追走。逃げの3人との差は徐々に縮まり、ゴールまで約7kmの最後の丘の頂上付近で、ついに新城たちの逃げは吸収されてしまう。


終盤の新城幸也
 レースはゴールでのスプリント争いが確実となるが、残り3kmを切ったところで、メーン集団前方で落車が発生。これに“最強スプリンター”マーク・カヴェンディッシュ(イギリス、スカイ プロサイクリング)が巻き込まれてしまう。

 残り1kmとなり、集団先頭はロット・ベリソル勢が4名で固める絶好の態勢。アシストに完璧に守られたグライペルが残り200mからスプリントを開始すると、他の選手は誰も横に並びかけることもできなかった。今ツール最も手厚いゴールスプリントでのアシストを受けながら、第2ステージはカヴェンディッシュに敗れていたグライペル。この日は最後まで先頭を譲らず、待望の今ツール初勝利を手に入れた。



アンドレ・グライペル(ドイツ、ロット・ベリソル チーム)が万全のスプリントで優勝。ゴール前だがチームメイトが勝利を確信してガッツポーズ
 新城はこの日110位でゴール。しかしスタートからの200km以上を終始積極的に攻め続けた走りが評価され、この日の敢闘賞に選ばれた。ツールでの敢闘賞は2009年の最終ステージで別府史之(現オリカ・グリーンエッジ)が受賞して以来の2人目。別府の受賞時は表彰ステージでの表彰が省略されていたため、この日の新城がツール史上初めて表彰台に上がった日本人となった。

 総合各賞の首位は変動なし。しかしポイント賞争いでは総合2位につけていたカヴェンディッシュが落車の影響からゴールで0ポイントに終わり、4位に後退している。落車でのケガの影響も心配され、2年連続のマイヨヴェール獲得に黄信号が灯った。



第4ステージ結果
1 アンドレ・グライペル(ドイツ、ロット・ベリソル チーム) 5時間18分32秒
2 アレッサンドロ・ペタッキ(イタリア、ランプレ・ISD) +0秒
3 トム・フィーレルス(オランダ、チーム アルゴス・シマノ) +0秒
4 マシュー・ゴス(オーストラリア、オリカ・グリーンエッジ) +0秒
5 ペテル・サガン(スロバキア、リクイガス・キャノンデール) +0秒
6 ジョナサン・カントウェル(オーストラリア、チーム サクソバンク・ティンコフバンク) +0秒
7 ダリル・インピー(南アフリカ、オリカ・グリーンエッジ) +0秒
8 クリス・ベックマン(ベルギー、ヴァカンソレイユ・DCM) +0秒
9 エドヴァルド・ボアッソンハーゲン(ノルウェー、スカイ プロサイクリング) +0秒
10 ルーベン・ペレス(スペイン、エウスカルテル・エウスカディ) +0秒
110 新城幸也(日本、チーム ヨーロッパカー) +0秒

個人総合(マイヨジョーヌ)
1 ファビアン・カンチェッラーラ(スイス、レイディオシャック・ニッサン) 20時間4分2秒
2 ブラッドリー・ウィギンス(イギリス、スカイ プロサイクリング) +7秒
3 シルヴァン・シャヴァネル(フランス、オメガファルマ・クイックステップ) +7秒
4 ティージェイ・ヴァンガードレン(アメリカ、BMCレーシングチーム) +10秒
5 エドヴァルド・ボアッソンハーゲン(ノルウェー、スカイ プロサイクリング) +11秒
6 デニス・メンショフ(ロシア、カチューシャ チーム) +13秒
7 カデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシングチーム) +17秒
8 ヴィンチェンツォ・ニバリ(イタリア、リクイガス・キャノンデール) +18秒
9 ライダー・ヘシェダル(カナダ、ガーミン・シャープ・バラクーダ) +18秒
10 アンドレアス・クレーデン(ドイツ、レイディオシャック・ニッサン) +19秒
53 新城幸也(日本、チーム ヨーロッパカー) +2分3秒

ポイント賞(マイヨヴェール)
1 ペテル・サガン(スロバキア、リクイガス・キャノンデール) 147 pts
2 マシュー・ゴス(オーストラリア、オリカ・グリーンエッジ) 92 pts
3 アンドレ・グライペル(ドイツ、ロット・ベリソル チーム) 87 pts

山岳賞(マイヨアポワ)
1 ミカエル・モルコフ(デンマーク、チーム サクソバンク・ティンコフバンク) 9 pts
2 イヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス・キャノンデール) 2 pts
3 ペテル・サガン(スロバキア、リクイガス・キャノンデール) 2 pts

新人賞(マイヨブラン)
1 エドヴァルド・ボアッソンハーゲン(ノルウェー、スカイ プロサイクリング) 20時間4分13秒
2 ペテル・サガン(スロバキア、リクイガス・キャノンデール) +12秒
3 ゴルカ・イサギレ(スペイン、エウスカルテル・エウスカディ) +2分37秒

チーム総合
1 スカイ プロサイクリング 60時間12分40秒
2 レイディオシャック・ニッサン +4秒
3 BMCレーシングチーム +6秒

敢闘賞
新城幸也(日本、チーム ヨーロッパカー)





カミカゼ! 初物づくしだったユキヤの敢闘賞
2012/07/05 10:32更新

http://cyclist.sanspo.com/6160


200km以上逃げ続けた終盤の新城幸也
 あまりにも興奮してしまい、今になってドッと脱力感に襲われている。

 スタート直後から200km以上逃げた新城幸也(日本、チーム ヨーロッパカー)が獲得した敢闘賞。賞自体は2009年最終ステージの別府史之(当時スキル・シマノ)に続き日本人2人目だが、多くの観客が見守るツールのポディウムに上がった日本人はこれが初めてなのである。

◇      ◇

 よくよく考えると、第4ステージのユキヤの走りは日本の自転車界、いやツールの歴史においても初物づくしだ。



 ツールのステージ0km地点でファーストアタックを決めた初の日本人選手
 ツールのバーチャルマイヨ・ジョーヌとなった初の日本人選手
 ツールの中間スプリントポイントをトップ通過した初の日本人選手
 ツールのポディウムに登壇した初の日本人選手 

 どれもこじつけと言われればそれまでだけど、本場ヨーロッパから遅れをとっている日本のサイクルスポーツ界にとっては、その1つ1つが歴史的快挙。そして、これを日本の競技水準が世界レベルに達するための通過点としなければいけない。

 一緒に逃げた選手も良かった。ブエルタ・ア・エスパーニャで2008年から4年連続山岳賞のダヴィド・モンクティエ(フランス、コフィディス ルクレディアンリーニュ)はもちろん、ボクはアントニー・ドゥラプラス(フランス、ソール・ソジャサン)の存在が大きかったと見ている。

 過去にフランスの小レースであるポリ・ノルマンド優勝や、若手の登竜門ツール・ド・ラヴニールでのステージ優勝経験を持ち、これまで収めてきた好リザルトのほとんどが逃げによるもの。今年もカタルーニャ一周第1ステージで2位に入っており、今回のような展開は彼にとってもベストなものだったのである。このメンバーであればフランス語で会話ができるし、山岳ポイントが欲しいモンクティエと逃げで活路を見出したい2人の利害も一致していたのだと思う。


この日の敢闘賞を獲得した新城幸也(チーム ヨーロッパカー)。日本人選手で史上初めてツール・ド・フランスの表彰台に上った


昔、住んでいた町の近くを通ってご機嫌の新城
 最近のユキヤの走りを見ていると、2009年にBbox・ブイグテレコムに加入した頃のようながむしゃらさが戻ってきたような気がする。当時はプロチームで自らの居場所を確保するのに必死な様子が見て取れたものだ。ダンケルク4日間レースで総合9位、クリテリウム・ドーフィネではスプリントに加わって、あれよあれよという間にツールのメンバー入り。ツールでもいきなりステージ5位に入った。あの頃との違いといえば、経験と実力、チーム内での信頼度。そして、この敢闘賞でプロトン内で受けるリスペクトはさらに大きなものになるだろう。

 ボクはテレビでレースを観る時、必ずパソコンを前に置く。公式サイトを確認しながらだったり、Twitterで戦況についてあれやこれやツイートしたりするのだけど、このステージに関しては本当に落ち着かなかった。ユキヤがメイン集団に吸収されてからは、レースそっちのけで公式サイトのリロードを繰り返し。敢闘賞選手の発表があるまでどれだけ時間が長く感じたことか。

 そして、ユキヤが敢闘賞に決まったら決まったで、喜びすぎてレースの最終局面を押さえていられなかったりする。気が付いたら残り3kmを切っての大落車が起こっていたし、アンドレ・グライペルの勝利をお膳立てしたロット・ベリソルトレインの美しさも、レース後のハイライト映像でようやく把握した。いや、実際はテレビ画面に目をやっていたはずなのだけれど、ハイになりすぎてしまってレースに身が入らなくなっていたという方が正しいか。

 実を言うと本業の締切が迫っていて、本当はツールどころではなかったりするのだが、無理やりにでも早めに仕事を切り上げてレースを観て正解だった。もちろん、後手に回した分のしわ寄せが及ぶけど、この喜びと「次はきっと勝ってくれるだろう」という期待感が仕事へのモチベーションとなりそうだ。

 ユキヤがポディウムで見せた満面の笑顔のように、ボクも笑って締切を乗り切る覚悟を決めた。

油断してましたが、そういうことかと(^_^;)

先月の事故で大怪我をし、シンガポールに緊急搬送され、手術を受けた話は何度も書きましたが、
その費用は莫大なものであり、かつ保険にも入っていなかったので、全て実費負担となりました。

1本は行ってないと思いますが、1本に近いくらいの費用が掛かってしまったので、会社に申し訳ない
と同時に感謝の気持ちで一杯でしたが、その費用は具体的にどう処理するのか総務担当の同僚に聞いて
みたところ、初めは「全社費用として管理部門が負担し、営業部には負担をお願いしないはず」とのこと
でしたが、上司に確認してもらったところ、全額営業部負担となるとのこと(>_<)

要は私が採算責任者である、私の営業部で全額負担することになると。
参ったな。。。。。 ただでも今年は仕込みの年で、利益が薄いのに、さらにそんな莫大な費用を負担
することになると、予算の大幅未達が確実になってしまう。

確かに私のポケットマネーには影響しなかったが、結局自分の不祥事は自分で責任を取るという
ことですな。 世の中甘くはないな(>_<)

さて、昨夜からシンガポールに来てます。
今日は戦略会議、そして今から懇親会です。

出席者は20人ほどですが、席順は既に決まっていて、なぜか私はラスボスの目の前の席に配置されました。
うーむ。。。。。酔っ払うわけにいかないなぁ。。。。(^_^;)

昨朝は超寝坊したので、ローラー漕げず、今日も出張中なので、運動不足です。
良くないなぁ。。。。。

昨夜は到着免税店で1リットルのお酒を買い、ホテルで独り寂しく飲んでましたが、残念なことに
これを持って出国することは禁止(液体規制、安全上の問題)なので、半分以上残して帰らねば
なりません。











飛行機に乗る際に面倒なこと

今気がつきましたが、今日は七夕なんですねぇ。。。。
外地に居ると、すっかりその手のことには疎くなりますが。

今回は2泊でシンガポールに出張でしたが、初日からいきなり焦ります。
というのも、事故後の入院&療養生活でシンガポールに約2週間滞在していたことから、
身体がジャカルタより1時間早い時間帯に慣れ、ジャカルタに帰任後も、朝は目覚まし
要らずで、夜明けと共に覚醒する生活が続いてました。

前日に準備をする気分になれず、当日6時台に起きて、出張準備をし、7:45に家を
出る予定だったのですが、いつもの通り、目覚ましをかけずにいたのですが。。。。。

ふと気づくと、既に「7:45」になってます(>_<)
さすがに焦りました。。。。

しかも当日は8:30から社長出席の重要会議が予定されてました。
なので、大慌てで、7分で出張準備をし、8分で身支度し(タイミング悪いことに、2週間に
1回しか外さないコンタクトレンズを前日外していたので、この装着にも3-4分時間を
要します)、8:00に家を飛び出し、ギリギリで会議に間に合いました。

さすがに髭を剃る時間はありませんでしたね(^_^;)

いつもは空港へ向かう時間もギリギリなことが多く焦るのですが、一昨日は余裕を持って
事務所を出たので、多少渋滞してましたが、空港には余裕を持って到着。
しかしイミグレがかなり混んでいたので、イミグレ終了時には、既に出発予定時間の1時間前
になってました。

ジャカルタでは、クレジットカード会員用のラウンジがあるので、ここで待機しますが、搭乗口は
いつも遠く、15分くらい歩かないと辿り着けません。

ラウンジではネット接続が可能なんですが、過去に「あ、搭乗時間がヤバイ!」と思って、焦って
PCを閉じた結果、画面がフリーズし、飛行時間中にずっとバッテリーを食い続け、到着後2日間
使用できなかったという苦い経験があるので、時間ギリギリでも落ち着いて終了させてから
出発するようにしてます。

そうすると、いつも必ずギリギリのタイミングになる(^_^;)
一昨日も足が痛いのに、搭乗口まで走りました。
2週間前にシンガポールでも同じことになってました。

そして、次のトラブルは「はさみ」です。
私は洗面道具の中に、鼻毛切り用とかに使用する、先の丸まった刃渡り3cmくらいの小さな
ハサミを入れてるんですが、ジャカルタで引っ掛かることはないんですが、シンガポールでは
いつも引っ掛かります。  オーストラリアでも同様でしたね。

毎回「出して見せろ」と言われるので、カバンをひっくり返して取り出さねばならず、非常に
面倒です。

今日に至っては、イミグレ前に1回、搭乗口で1回ずつチェックされ、そのたびにカバンの奥底
から小さなハサミを取り出して、係官に見せねばならず、非常に面倒です。

でもって、最近になってから新たに加わった問題(^_^;)

金属製のものを何も見につけていなくても、必ず金属探知機に引っ掛かるんです(>_<)
そのたびに「俺の身体は金属製だ!」と言って係官を説得せねばならないんですが、すぐに
納得してくれないケースも多く、しつこく検査を続けられることもあります。

搭乗拒否はまだされたことないんですけどね(^_^;)


●本日の走行距離:    11km(夜ローラー)


あれから4週間

左半身全滅事故(6/10)から4週間が経過しました。
手術(6/11)からもほぼ4週間になりますね。

身体の可動範囲は少しずつ拡大しているし、痛みも少しずつ和らいできては
いますが、左半身に限って言えば、事故前の1/3も動かないかなという
感じです。

最終的には事故前の2/3くらいまでは動かせるようになるようですが、
全治後も絶対に動かしてはいけない方向とかもあるようです。
(脱臼しやすくなっているので)

どれくらい回復したかと言うと、昨日は杖を使わず、シンガポールで1時間
(4-5km)散歩することができました。
もっとも、ジャカルタ帰任後、杖は使ってませんが、長距離を歩いたのは昨日が
初めてでした。

今日は事故後初めてローラー台(但し負荷は最低)で50km漕ぐことが
できました。(事故後の最高記録であった25kmを大幅更新!)

肋骨の痛みも和らぎつつあり、起床時に叫び声を上げなくても起き上がれる
ようになりました。(ここ、かなり重要!)

靴下も多少コツが必要ですが、1分で履けるようになりました。

お酒の方ですが、結局飲まなかったのは入院中の5日間だけ(^_^;)

退院日の夜から飲み始め、さすがに退院後は、左足が右足の倍くらいまで
膨れ上がっていて痛みを伴っていたので、たくさんは飲めませんでしたが、
ジャカルタに帰任してからは普段のペースまで戻ってます。

結局退院日(6/15)から今日に至るまで1日もお酒を抜くことなく、2次会にも
行くようになりましたので、こちらはリハビリ完了という感じです(^_^;)

さて、再び自転車に乗れるようになるのだろうかというのが大いなる疑問。
医者は「乗れるようになる」とは言っていたものの、それは「シティサイクルに
15km/hくらいでゆっくり乗るのは可能」という意味かもしれない。

ヒルクライムは股関節への負担が大きく、やらない方が良いらしいし。

そのそも、クリートを外す操作が、人工股関節だとかなりやばそう。
あと、ロードバイクのサドルは、人工股関節にとっては硬すぎる。。。。

色々サイトを調べてみると、鎖骨程度の骨折であれば、ロードバイクに
復活している人は大勢居るようですが、さすがに人工股関節に換えても
ロードバイクをバリバリに乗っているという人はまだ見つかってません。

社内的に「ロードバイク(スポーツバイク)禁止令」は出ておりませんが、
シンガポールで子会社の社長をやっている同僚は、社内で「ヘルメットと
グローブは必着のこと
」という通達を出したとのこと。

これは正解ですよね。

●本日の走行距離:    50km (ローラー台)


<追記>

私の場合、BMI的なベスト体重は「68kg」なんですが、ジャカルタに来てからは「68-72kg」
くらいで増減を繰り返してます。

手術の後遺症で、退院直後は左足が膨れ上がっていたせいか「76kg」くらいまで体重が増加して
ましたが、足の腫れがなくなったら、「70kg」までダウン。

その後も普通に飲食してますが、今日量ったら「68kg」。。。。。。うーん、悲惨。
重い筋肉が、全て軽い脂肪に変わっている感じ。。。。

復活してからも、筋肉作りをゼロからやらないと。。。。

やっぱり、脂肪って筋肉より軽いんですね(>_<)





ジャカルタ州知事選と デモ、デモ、デモ。。。。

今日は多忙なので、短い記事で。

今週水曜日(7/11)はジャカルタ特別州の州知事選投票が行われるので、事務所は休日となります。

選挙とは別に、翌7/12はジャカルタ市内で5万人のデモが予定されており、空港への道路が閉鎖
されるという情報で、12日に出発予定だった出張に、どう対応しようか(10時間かかるつもりで、
夜のフライトなのに早朝に出発するか等)悩んでおりました。

しかしながら、出張予定先でもデモが行われるという情報が入り、急遽出張自体がキャンセルとなり
ました。 年1回の重要会議で、日本からも偉い人が続々来る予定だったのですが。。。。。

事ほど左様に、経済成長著しく、活気のあるインドネシアですが、デモやストの類は非常に多く、
そのたびに経済活動が著しく影響を受けます。

賃金上昇率も年率2桁であり、いつか(安い労働力を背景とした)現地生産競争力がなくなってしまう
のではないかと危惧しております。

もっとも、かような現象は、発展途上国が発展する途上で(そのものやん。。。)、つまり後進国が
中進国となる過程で通らなければならない道でもあり、致し方ないのかもしれませんが。。。。。

さて、かつて同じ会社の同期だった友人が、親の会社を継ぎ、今や社長さんとなっていて、
インドネシアにも製造拠点を置いていることから、ときどき出張に来てるんですが(そう言えば、
正月にバリ島でも遭遇したな)、今夜は彼と飲みに行きます。

旧交を温めるだけでなく、今後のビジネスに発展できるような有力な情報交換ができればと期待
しております。

有料な情報があれば接待費、なければ自腹で飲んできます(笑)

●本日の走行距離:    0km  (寝坊のため)


昨夜は20時半には寝たんですが、今朝起きたら7時過ぎでした。
熟睡はできてないんですが、いったい何時間寝れるんだか(^_^;)



日本だったら今日あたりに退院だったのかな

今週はデモのせいで出張がなくなったので、珍しくずっとジャカルタに居ますし、明日は選挙でお休みなので
比較的余裕のある週ですが、来週以降は大変です。

既に、7/15-17は重要取引先各社との重要会議が詰まっていたんですが、さきほど突然、別の重要取引先が
7/15-20でジャカルタ入りすることが決まりテンテコマイです(^_^;)

再来週も7/22-24で出張者あり、自分も7/24-28でマレーシア等に出張予定。
滅茶苦茶忙しい2週間となりそうです。

さて、週末に色々とサイトを調べ、人工股関節置換手術をした方のブログもいくつか読んだんですが、
同世代と思われる方でも、1ヶ月入院が当たり前で、杖でのリハビリは術後2週間で開始(それまでは、
歩行器や平行棒を使ったリハビリ)するのが通常みたいですね。

術後半日しか経ってないのに、杖で階段昇降までやらされた俺っていったい何?
この差は、日本とシンガポールの差だろうか。

でもって術後4日で退院し、退院した夜から酒飲んでた俺って何?
術後2週間後には職場に完全復帰し、お客さんと夜中まで飲み歩いていた俺って何者??
海外出張も普通に行ってるし。。。。

日本で同じ怪我してたら、今日あたりにやっと退院って感じだったかもしれません(^_^;)

実際まだ痛いし、足引き摺ってるけど、運動ができない(ローラー台以外)ことを除くと、普段と全く同じ
生活(特に仕事面)に戻ってます。

●本日の走行距離:    飲みに行かなかったら「10km」くらいローラー漕ぎたい。。。。。


が。。。休前日でもあり、飲みに行きたい誘惑に勝てるか。。。。。


でもって、結局社長のお誘いあり、ブロックMに向かっている私(^^;

新人秘書の急成長

今日はジャカルタ特別州の州知事選挙だったので会社は急遽休みになりました。
もっとも家で仕事できる体制にはなっていたので、殆ど仕事してましたが。

ただ、珍しいこととして、月水金はメイドさんが来る日なんですが、今日は
選挙日なので、勝手に休むかなと思っていたら、ちゃんと9時過ぎにやってきた
んですよね。

自分が在宅中にメイドが仕事している状況って滅多にない(過去に1度だけ、
年末休暇のときにあっただけ)ので、なんだかちょっと気まずい感じ(^_^;)

まあ、でも結構真面目に仕事やっているのが確認できた(ご主人様が居るから
今日は特別頑張ったのか?)のは良かったです。

さすがに掃除機かけ始めた時はうるさかったので、外を散歩してましたが。

話は変わりますが、今年の3月末に、日本語の良くできる秘書が辞めてしまい、
なかなか良い後任候補が見つからず、やむを得ず、日本語力にはかなり不安のある
新卒の秘書を雇った話は以前にも何度か触れたことがあります。

採用してから1ヶ月も経たない4月にいきなり通訳アテンドの仕事をやらせた
のですが、さすがに大変だったみたい。
でも、その際は社内の出張者だけだったので勘弁してもらいました。
一応もう一人、日本語はできないけど、ベテランのスタッフを付けたこともあり。

本人もさすがに「これではダメだ」と悟ったらしく、日本語(業界の専門用語)を
猛勉強してくれました。

でもって、丁度1ヶ月前取引先(バイヤー)の方を伴っての出張があり、これは
さすがに新人1人には任せられないということで、新人秘書だけでなく、私もアテンド
する予定だったんですが、出張者が入ってきた当日に例の事故を起こしてしまい、
シンガポールに搬送されてしまったので、アテンドは不可となってしまいました(>_<)

実は、事故った直後は、鎖骨だけならアテンド出張には行くつもりだったんですが、
股関節破壊骨折ではいかんともしがたく、新人秘書に任せてしまったのですが、
どうにか対応でき、取引先にも気に入ってもらえたようです。

でもって、今日も同じ関係の社内の出張者が来てるんですが、今回は自身を持って
彼女にフルアテンド(日帰りバンドン出張)を依頼し、私は自宅でのんびり仕事を
しているというわけです。

「ちょっと荷が重いかな?」と思える仕事や、実際に荷が重い仕事もやらせましたが、
結果として場数を踏んだことで、仕事も覚えてくれたし、必要な日本語も勉強して
くれているので、短期間で結構優秀な秘書に育ってくれました。

やはり採用は、「その時点の知識」ではなく、「素材」というか「将来の伸びしろ
が大事ですね!

●本日の走行距離:    30km (ローラー台)


昼間の仕事は秘書に任せ、夜の会食(飲み)だけ、私が出馬します(^_^;)



インドネシア語レッスン

今日はジャカルタ市内で大規模デモ(5万人動員)が行われましたので、出張者には大幅な余裕
(フライト出発時間の6時間前にホテルを出発)を持って空港に行ってもらいましたが、結局1時間で
空港に着いたとのこと。

時間帯によって局所的な渋滞(大渋滞?)は発生したようですが、ジャカルタ市内の交通網が麻痺
するほどの影響はなかったようです。

ところでこのデモなんですが、自発的なものではなく、主催者が居て、参加者に一人10ドルくらい
払ってデモに参加させているらしい。 つまり5万人動員するのは、50万ドル(4千万円)もの費用が
掛かるわけですが、なんでそんな高額な費用を費やしてでもデモをやるのか、今ひとつ理解できない
ものがあります。

さて、本題です。

弊社の規則では、英語以外の言語が公用語の国に駐在する場合、初回かつ赴任後半年間に限り、
語学レッスン代を会社で負担(上限あり)してくれることになっております。

私がレッスンを受けているのは、前任者からの紹介でもあり、かつ弊社社員の半数程度がレッスンを
受けているインドネシア人のオバチャンなんですが、去年の8月から習っております。

レッスン料は「20回(時間)セット」で Rp 3,000,000.-、日本円で25,000円程度ですので、
1回(1時間)当たり1300円弱という、まあまあリーズナブルな値段設定です。

しかも会社まで来てくれるので、平日の業務時間開始前や昼休み、業務時間終了後の夜とかに教わることが
できます。

8月に20回分のレッスン代を支払、最初の20回が終了したのが今年の1月初、ギリギリ半年経過前だった
ので、急いで2セット目(20回)の支払をし、会社に負担してもらいました。 2セットで5万円強、
会社負担でレッスンを受けたことになります。

一昨日、同僚とランチをしている際に、その話になり、2セット目に入ってから半年経つが、まだ請求がない
と言ったら、「回数をちゃんと数えてないんじゃいの?」という指摘もあったんですが、その日のレッスンが
終わったときに「今日で20回が終わりました」との連絡あり。

約1年で40回(40時間)のレッスン、月3回ちょっとくらいのペースですね。
道理で上手くならないわけだ(^_^;)

一応、週2コマ(火曜と木曜)に来てもらうことになってるんですが、出張や出張者、怪我等もあり、平均
すると月3回(3時間)くらいのペースだったようです。

でもって、今週は出張がキャンセルとなったので、今日もレッスンを受け、新たに約25,000円を支払った
ところ。 今回からは自己負担です

このレッスンだけでは、やはり足りないので、時間があるときにはインドネシア語の教本(父親の形見が
たくさんある)を読んで学習してるんですが、なかなか時間を見つけるのは難しく、やっと2冊目くらいなぁ。


●本日のローラー台:     ??km

昨日一昨日と連日午前様であり、今朝は時間なく、ローラーはできませんでした。
今夜はちょっと乗りたいんですが、また誘惑に負けて飲みに行ってしまうかも(^_^;)




光熱費(エアコンを点けっ放しにすると、どうなるのか)

私にとってジャカルタは海外で居住する都市としては4箇所目ですが、社宅という意味では7箇所目に
なります。

社宅の選択は、一義的には前任者から引き継ぐことが大半ですが、賃貸契約の期限が到来すれば、
更新するか別の場所を探すかは、決められた予算の範囲内で、駐在員本人の自由となることが大半
です。

7箇所住んだ社宅の中の5つの社宅は、家賃の中に光熱費(ネット接続料も)込みとなっていたので、
朝から晩まで冷房を点けっ放しにしていることが多かったです。

ちなみに2度目の駐在地では、最初に入居した(前任者から引き継いだ)社宅は、光熱費別払い
(自己負担)だったので、引越しをする際に、新たな社宅の大家と交渉し、「少々高くても良いから
光熱費込みにしてくれ」と交渉し、家賃相場が下がっている(同じ場所で更新すれば、大幅値引きが
取れる
)という事実は報告せずに、「光熱費込みで、しかも家賃も下がります」と都合の良い情報
だけ所長に報告し、転居を承諾させたことは既に時効です(^_^;)  17年前のことでもあり。

上述の引越し前の社宅(8ヶ月滞在)を除くと、過去6箇所の社宅の内、5箇所は全て光熱費込み
(ネット接続費も込み)という契約だったので、自己負担はなかったのですが、今の社宅は光熱費が
自己負担なので、冷房もケチケチ使わねばなりません(>_<)

しかも中東・アフリカとは異なり、ジャカルタの場合、仮に家賃が光熱費込みであったとしても、
光熱費相当分は会社に戻入せねばならないという規則があり、中東・アフリカと比べると、お得感が
薄れます(^_^;)   ただでも中東より給料安いのに!

なので、冷房は自分が居る場所しか点けませんし(光熱費込みの社宅では、全ての部屋の冷房を
点けっ放しにしていた)、基本的に外出する際には、全ての部屋の冷房を切ります。

ただ、1時間程度で戻ってくる場合は、1時間相当の電気代と、戻ってきた際の不快感を天秤にかけ、
点けっ放しで出かけることも少なくありません。

でもって、何が言いたかったかと言うと。。。。。。

1ヶ月前の例の事故のときのことなんです。
その日は、午後からゴルフだったので、午前中は軽く1時間程度自転車に乗るつもりだったので、
冷房を点けっ放しで出かけた可能性があるんですよね。

当日は事故現場からアパートに一旦戻ったものの、部屋には戻らず、そのまま入院&シンガポール
への緊急搬送となったため、冷房を点けっ放しだったか、ちゃんと切ったかの確認はできず、とういか
そんなことまで頭が回る余裕はなく、退院する頃になってふと「あれ、もしかして冷房点けっ放しで
2週間放置プレイになってたりする?」と不安になってきました。

事故から2週間、久しぶりにアパートの部屋に戻ると。。。。。。。。。

。。。。。。。。。。。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


冷房は点けっ放しでした(>_<)

あぁぁぁぁぁ。。。。。やっぱり点けっ放しで出かけてしまったのかぁ。。。。
普段なら4000円ちょっとで済む電気代が4万円くらいに跳ね上がりそう(>_<)

しかも、メイドちゃんから伝言があり、「他の部屋が暑いので、ドアを全部開放しておきました」と。。。orz
ってことは、1日24時間x14日間、全部屋を冷却すべく、エアコンはずっとフル稼働してたってことじゃん。
いやぁ。。。。参りました。 請求書が届くのが怖い。。。。

でもって、昨日請求書が届いたんですよ。
恐る恐る覗き込むと。。。。。。。。

。。。。。。。
。。。。。。。。。。。。。。


あれ? いつもと変わらないじゃん。

ということは。。。。。。
俺は冷房を点けっ放しにはしていかなかったんだ。

でもって、メイドちゃんが俺の帰宅直前に気を利かせて冷房をオンにし、部屋を涼しくしておいてくれたんだ!
なんて偉いメイドちゃんなんでしょう♪

レバラン・ボーナスを弾んでやらないといけないな。

ちなみに、ジャカルタの社宅での光熱費は、電気・水道・下水処理代の3つで大体月1万円くらい。
そしてネット接続費が、固定の方が月約5000円、但しメチャクチャ遅い(^_^;)
でもって、モバイル用が月2000円、こちらも遅い。


しかし日本の留守宅の方は、家族4人分の携帯電話代と留守宅のネット接続代を合わせると、月に
10万円弱くらい掛かっているので、ジャカルタ分はまだ可愛いものですよね。


●昨日のローラー台:      11km
 本日のローラー台:        0km   (寝坊と飲み会のため)

うーむ、結局今週は、月火水金と平日5日の内、4日飲みに行ってるなぁ。。。。

家でツールドフランスの生中継が見れたのは、土日と昨晩だけですね(^_^;)
昨日はなかなか面白かった!








所定勤務時間と重役出勤(^_^;)

自転車に乗れない日々が続いております。

さて、東京本社の所定勤務時間は、少し遅めのスタートで「9:30~17:45」(内、昼休みが
1時間)なので、実働時間は「7時間15分」と、まあ普通の時間帯なんですが、海外事務所は
バリエーションが色々ありました。

<アフリカ>

赴任当初(1989年)は「8:30~12:30」「14:30~18:30」と2シフトに分かれており、
実働時間は「8時間」。

社宅は事務所から車で10分くらいの場所だったので、昼休みは帰宅して、昼寝
してから午後のシフトに出勤みたいな感じでした。 ちょっと慌ただしかったけど。

入社3年目(25歳)で所長以下事務所員6名の中で最年少だったにも関わらず、
生意気にも所長さん(39歳)に対して、「8時間勤務なんておかしいですよ、
日本並みに7時間15分か、せめて7時間30分くらいに短縮すべきでは」と進言し、
所長は人事部と相談の上、以下の時間帯に変更となりました。

「8:45~12:30」「14:45~18:30」

この変更により、朝は15分寝坊ができたし、昼寝も15分余裕ができました(^_^;)
所長さんも「昼休みが長くなったので、昼休みにゴルフ・ハーフ回れるな」と
喜んでました。

<中東禁酒国>

この事務所のシフトは、1994年に赴任した際、非常に変則的なシフトでした。

1)通常期(9/16~6/15、除く断食月)

日曜日~水曜日:  「8:30~13:00」「15:30~18:30」
木曜日&土曜日:  「8:30~13:00」 午後は休み


休日がイスラム教の集団礼拝の日である「金曜日」1日しかなかったので、
木曜日と土曜日を半ドンとすることで、週5日勤務を確保してました。

2)夏期シフト(6/16~9/15)

土曜日~木曜日:  「8:00~13:30」 午後は休み

週6日勤務ですが、何と3ヶ月間は、驚きの「毎日半ドン」でした!!

私は6/12赴任だったので、赴任後3日間だけ午後も仕事しましたが、すぐに
夏期シフトに入ってしまったので、平日から毎日午後は休み。
プールで日光浴したあと、車で繁華街とかにでかけて地元の文化に触れていました。

3)ラマダン(断食)期間

土曜日~木曜日:  「8:00~14;00」 午後は休み

この国ではラマダン期間中は1日6時間を超えて仕事をさせてはいけないという
法律があったので、これは致し方ありません。
午後の遅い時間まで仕事させても、皆腹ペコでイライラしてきて、仕事の効率は
落ちるだけでしたしね。

でも、ラマダン中は毎晩お祭りで、夜明けまで起きてる人が多いので、昼間は
皆眠そうでしたけど。

その代り、ショッピングセンターとか普通に午前2時とかまで賑わってました。
その代り、日中はクローズしてましたが(^_^;)


赴任の翌年、所長が替わり、夏期シフトは残念ながら廃止となり、かつその翌年には、
2シフト制もなくなってしまい、普通に「8:30~17:00」とかに変わっちゃいましたけど。

<中東事業会社>

こちらの会社に2003年に出向してきた際、以下のごとく厳しい長時間シフト
でした。 ラマダン時は夜中まで勤務時間です(^_^;)
 
土曜日~木曜日:   「8:00~13:00」「16:00~20:00」
ラマダン(断食)月: 「8:00~14:00」「20:00~23:00」


休日は1日だけ、あとの6日は午前5時間+午後4時間、合計9時間(x6日)で
「週54時間、所定内労働時間」という厳しいものでした。

私が赴任後しばらくして、社員から「もっと短くしてもらいたい」との要求があり、
始まりと終わりを30分ずつ縮めて、1日8時間(但し6日)に変更。

土曜日~木曜日:   「8:30~13:00」「16:00~19:30」
ラマダン(断食)月: 「8:30~14:30」 夜はショップのみ「20:00~23:00」


ちなみに、日系企業の大半は既に週休2日を導入しておりましたので、うちの
会社はかなり遅れてました。

その後、さらに社員からの強い要請があり、木曜日を半ドンにすることに。
でもって、私が帰任する少し前に、これまた社員からの要請で、1直シフト
「8:30~17:30」に変更。

完全週休2日制の要求は保留し、後任の判断に任せることにしました。

さて、重役出勤の話(^_^;)

赴任後2年間くらいは真面目に時間通り以上(残業)に勤務してたんですが、
まあ色々ありまして、後半はだいぶマイペースになってきました。

朝の出勤は「9:45」前後、たっぷりと昼休み(社宅で昼寝等)を取って、午後の
出勤は「17:00」前後。。。。みたいな(^_^;)

その代り、ラマダン時は当然のことながら、実際には夜遅いミーティングとかも
たくさんあったので、要は「所定時間に縛られずに最も効率的な勤務時間」を
超フレキシブルに選択していた、って感じですかね。

まあ、会社は儲かっていたので良しとしましょう(^_^;)

<ジャカルタ>

こちらは至って普通のシフト。

月曜日~金曜日(ラマダン時も同様): 「8:30~17:00」

インドネシアもイスラム教徒が大半ですが、礼拝日の金曜日も通常勤務ですし、
ラマダン(断食)月も、通常勤務と、中東諸国とはだいぶ事情が異なってます。

こちらでは、真面目に朝は8時過ぎ、夜は19時~20時頃までは勤務しております。
海外では久しぶりの週休2日制度です。

今は自転車もゴルフもできないので、なんやかんやと土日も仕事してるかな。

●本日のローラー台:   41km

人工股関節なんで、サドルに当たると痛いので、連続では10kmしか漕げません(>_<)

そろそろラマダンが始まりますね!
イスラム教徒の方、1ヶ月、頑張って下さいね!!







今日から2週間、多忙を極めます

さて、先週はデモの影響(出張先の現場でデモが発生)で、出張がなくなり
ジャカルタ事務所で比較的落ち着いて仕事ができましたが、今日から忙しく
なります。

既に午前中の便で1組目のお客さん(取引先出張者)が4名来ております。
でもって、午後と夕方の2便に分かれて2組目のお客さん(取引先)5名が
到着し、今夜は会食となります。

明日・明後日は、重要会議があり、水木金は別のお客さんとの会議等ですが、
その間にさらに3組目の出張者(これは社内)もやってきます。

社内の方はスタッフに任せますが、社外の2組はスタッフ2人と私にて手分け
して対応。

でもって、来週も出張者が5組(9名)あり、自分自身もマレーシア・シンガポール
に出張に行かねばなりません。
7/15-28の2週間は本当に忙しいスケジュールです。

車の手配、空港送迎、色々と大変ですが、経済好調で将来性のあるインドネシア
だからこそ、これだけのお客さんが来てくれるんですよね。

過去3回の駐在の内、最初のアフリカは出張者が月に1人来るかどうか。
自分の出張はやたら多かったですけど。

2度目の禁酒国もそれまでに経験したことのない円高に見舞われ、日本からの
輸出競争力が完全に失われていた1990年代半ばだったこともあり、2-3ヶ月に
1回程度しか出張者は来ず。 自分の出張は月1回くらいだったかな。

3度目の中東(事業会社出向)はビジネスの範囲が狭かったこともあり、やはり
出張者は2-3ヶ月に1人くらい。
まあ、出張者に限らず忙しい毎日ではありましたが。

でもって今回のジャカルタは過去3回とは比べ物にならないくらい出張者が多い。
生活資材全般と繊維に食料と、カバーしているビジネスの範囲が広いっていうのも
大きな要因なんですけどね。

●本日のローラー台:    30km



プロフィール

Muirwoods

Author:Muirwoods
2010年1月、45歳にして、短距離通勤用として購入したクロスバイク(MARIN Muirwoods、26インチMTB仕様)がいつのまに生活の中心的存在となり、Muirwoods号で300キロ超のロングライドに挑戦し、2010年末46歳でロードバイクデビューしました。

ロードバイク1台目は「Cervelo RS」。
11年7月にジャカルタに赴任、CAAD10を新規購入して持ち込みましたが、事故で大怪我をしてしまい、現在自転車活動は休止中です。

本年10/10を以って50歳になりした。
50代の10年も、頑張ります!!

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