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夜間の節電は必要なのか?

本題に入る前に、最近感じたこと。
会議とかで長々と喋り続ける人には閉口しますが、私は飲んでいるときに、飲んでいる相手の話を
聞き続けることは、あまり苦になりません。

もちろん、お酒が潤沢に給仕されていて、そこそこ美味しいつまみがあることが条件にはなりますが(^_^;)

あまりにもつまらない話題だと飽きますが、自分の経験って自分の年齢以上にはなり得ないけれど、
他人が体験したことを聞くのって、苦労話でも自慢話でも、自分が経験したことがないことなので、
結構面白く聞き続けることができます。

経験とは関係ない、単なる「持論」であっても。

まあ、ある意味、酒のつまみに出来るというか、一方通行のテレビを観ながら飲むよりは、相槌
打ったり、反応したり、質問したりできる分、飲み相手の話を聞いてる方が楽しく飲めます。

でも、そういうの嫌がる人って少なくないみたいですね。
「あの人と飲むと、自分の話しかしない」とか言われて煙たがられてしまったり。

私の場合、基本、好きなだけ酒が飲めれば、それで幸せなので、話を聞くのは全然苦にならない
ですねぇ。。。


さて、本題です。

今まであまり意識してなかったんですが、こないだちょっと小耳に挟んで「ふーん」と思ったんですが、
「節電」ってピーク時にするからこそ効果的なんであって、夜間に節電してもあまり意味がないみたい
ですね。

今はジャカルタ駐在なんで、冷房利き過ぎなくらいで特に問題ないんですが、去年の7月まで日本に
居たので、無意味な節電を強いられていたような気がしました。

まあ、一番暑い(消費電力が増える)ピーク時は我慢しなくてはいけないけれど、夜間とかは電力が
余っているので、無理して節電することないみたいですね。

ピーク時を超えた残業時間にも、冷房の設定温度を下げることを禁じられ、皆さん汗だくになって
残業してましたけど、身体に悪いだけで、節電効果も薄く、業務効率が落ちるだけなんですね。

夜間の照明(外灯とか)を落とすのも、犯罪や事故の危険が増すだけで、大した節電効果はない
みたいですね。

今の日本が、どこまで賢く効率的に節電しているのかを感じることはできませんが、去年の夏は
随分理不尽な節電を強制されたものだなぁ。。。と改めて思いました。

ちなみに私は、夏場は(ジャカルタの場合は一年中)、夜間就寝中はずっと冷房を付けっ放しで、
しかも昼間の冷房設定温度が「23℃、弱風」なのに、夜間は「17℃、強風」に設定して寝てます。

それでも、電気料金は最低金額を上回ることは殆どないし、かつピーク時ではないので、節電効果も
薄いので、これからは堂々とエアコン付けっ放し就寝ができますね(^_^;)

あ、もっとも今はラマダン中だから、夜間の必要電力も普段よりは多目なのかな?

<追記>

今日は社長が飲みに行きたそうだったので、19:15まで待機してたんですが、お呼びがないので
帰宅しました。

そしたら、さっきBBを見たら、20時近くにまだメール発信してる。
今日は仕事が溜まっていて出られなかったんですね(^_^;)

明日は予定がないので、たまにはこちらからお誘いしてみようかな。

●本日のローラー台:  12km
 本日の腹筋運動:   70回

うーん、まだ運動不足だ。。。。


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実は人前で話すのが、あまり得意ではない

ふと思い出しましたが、8月2日って、今を遡ること22年、1990年にサダム・フセイン率いるイラク軍が
クウェートに侵攻した日なんですよね。 そして翌1991年の湾岸戦争に発展する。

22年前の今日、私は「野口英世」や「ガーナチョコレート」で有名な「ガーナ」に出張中でした。
当時はガーナの左隣にある国に駐在中だったんですが、入札書類を急いで届けるという指名を帯び
陸路で国境を越え、延々車を乗り継いで8時間、ガーナの首都アクラに到着した翌日のことでした。

駐在していた国も、普段仕事で出張する先の国も、全てフランス語圏だったんですが、ガーナは英国の
植民地だったので、英語圏です。

久々に話す英語に戸惑いつつ、取引先の人と車で移動中に、ラジオ放送(英語)で「本日イラクがクウェートに
侵攻した
」というニュースが流れ、取引先の人(ガーナ人)が、「馬鹿なことをするもんだ」と苦笑していた
のが、とても印象的でした。

あれから22年、当時は北緯5度、今は南緯6度と、どうも赤道付近に生息していることの多い、Muirwoods
でございます(^_^;)

さて

昨日の記事で、飲みながら他人の話を聞き続けても苦にならないと書きましたが、私はそもそも話をする
こと自体があまり得意ではないのかもしれないなと、改めて思いました。

話をしないとやっていけない業種ではあるんですし、一見口達者なイメージを持たれることもないわけ
ではないのですが。。。。

こうやって2年近く、ブログの毎日更新を続けているので、決して情報発信が嫌いなわけではないのですが、
人前で喋るの(発表とか)は、実は割と苦手です。

気の置けない仲間内での飲み会とかなら、勿論全然問題なく、結構早口だし、むしろ喋り過ぎてしまうくらい
なんですが、社内外問わず、会議とかでの発言は得意じゃないですね。

一人当たりの持ち時間が10分と決まっているような会議で、多くの人は持ち時間を超えて一生懸命説明
している人が多いですが、私は大抵「えー、時間も迫っているので、手短にー」とか言って、5分くらいで
切り上げてしまいます(^_^;)

それから、私は電話が苦手です。 苦手というか好きじゃない。
できればメールとか文章のやり取りで済ませたいと考える傾向が強いですね。

メールであれば、相手から来た文章を何度も読み返して真意をつかみ、自分の書く文章も読み直して確認
してから送信できますが、電話だとそうも行かないので。

まあ、細かいニュアンスを伝えたいときは電話の方が便利なこともありますが。

話は変わりますが、今朝会社の前でデモがありました。
うちの会社は関係ないのに、なぜかうちの会社が糾弾されてました。

うちの社名は「PT○○インドネシア」という名前なんですが、「○○」が社名に入っている会社は複数あり、
問題の原因となった会社は従業員を170人だか解雇したところ、不当解雇だと騒ぎになり、うちの会社が
○○グループの代表であると勘違いされてしまったみたいです。

事情を知らない社員に間にも、少なからず動揺が走ったので、急遽社長が全社員を集めて、「うちの会社の
問題ではないので、心配するな」との説明がありました。

インドネシアって、経済発展中なんですが、結構労働問題は難しくて、デモやストも頻発するし、発展途上国
には付きものの問題とは言え、渋滞問題と併せ、今後の大きな課題なんですよね。

さて、今夜はどういう展開になるだろうか。。。。



8/3 今週末は大忙し (サラリーマンは連絡係?)

本日から本社の本部長(理事)がインドネシア入りします。
私の前任者と本部出身のシンガポール駐在員も同行します。

そして土日はスマトラ島の現場周りで、日曜日の夜に本部長は帰途に就きます。
つまり完全に週末を潰しての出張ってことなんですね。
必然的に私を含め、関係者一同、週末は仕事となります。

私のデスク周りが酷いことになっている状況は以前にも書きましたが、あまりにも酷いと、
「君、こんな状況で、ちゃんと仕事のフォローができてるのかね?」と叱責されそうなので、
慌てて片付けてます(^_^;)

この出張は、先週金曜日にシンガポールで別件の打ち合わせ(本社から部長が出張)を
していた際に、本部長から直々に私の携帯電話に連絡が入り決まったものですが、現地法人の
社長にも挨拶したいとのことで、社長のアポを取ったんですが、ここでもトラブル。

JALの到着予定時間は「1645」であることから、市内到着は早くて「1800」、渋滞すると
「1900」を大きく回ることもあります。
一方ANAですと、到着予定時間が「1515」なので、早ければ1600過ぎに市内に到着
可能です。

「JALかANAかどちらかで行く」と仰るので、「社長との面談時間を確実に確保するので
あればANAで来て頂いた方が無難です」と申し上げたのですが、結局JALで来ることに(^_^;)

でもって、社長には「渋滞状況によっては間に合わないかもしれませんが、一応1800-1830で
アポ入れさせて頂きました」と説明。

それが昨日になって、社長秘書から「社長は1745に事務所を出るので、1800からの面談は
対応できません」と言われたので、本部長にそう報告すると、「じゃ、事務所だけでも見たいから、
事務所に連れてって」との要請があり、1900からの会食に間に合う時間帯なら、まずは事務所に
寄ってもらう事に。

すると今朝になり、社長秘書から「社長は1830出発に変更になったので、1800-1830の面談は
対応可能です」との連絡があったので、本部長にその旨連絡。

すると先ほど、ひとつ上のフロアの同僚M君が血相を変えて現れ、「重要取引先の副社長との
会食が、ホテルで1830開始で、時間厳守と言われているので、社長には1745に会社を出て
もらわないと困るんです!」と。

社長はどうやら本部長との面談を終えてから、遅れて会食に参加しようと決めたらしいんですが、
会食をセットしたM君にとっては、直属上司の社長が大幅遅刻では立場がありません。

仕方ないので、「1800までに面談が終了しそうにない(渋滞等で到着が1800前後になる)
場合は、社長には、渋滞のため面談はキャンセルと伝え、会食に間に合うように出てもらうよ」と
伝えておきました。

今度は本部長に言い訳が必要です(^_^;)
「なんで約束通りの1800に到着したのに、社長に会えないんだ!」と怒られそうですが、上記
事情を話して納得してもらうしかありません。

いやぁ。。。。サラリーマンは悲しいですなぁ。。。。 普段はちょっと偉そうにしてても、偉い人が
絡んでくると右往左往(^_^;)

ま、会社経費で飲み食いさせてもらっている立場としては、仕方ないんですけどね。



8/4 今日はスマトラ島

予約投稿です。

今日はスマトラ島中部(南緯0度57分)の赤道直下な場所に出張です。
明日もスマトラ島南部に出張予定なんですが、同じスマトラ島内でも、その2都市を結ぶフライトが
ないことから、両方ともジャカルタからの日帰りとなります。

まあ、日帰りの方が、荷物が少なくて良いのですが、空の移動のみならず、空港と市内の往復も
2回になるのが面倒なところ。  移動が多い分、早起きもしなくてはいけないし(^_^;)

というわけで、今日はこれだけです。
昨日は恐らく遅くまで飲んでいたことでしょう。

出張移動中にBBから追記できたら追記します。

8/5 今日もスマトラ島(^_^;)

予約投稿が続きます。

今日はスマトラ島南部に来てます。
例のプロジェクトの工場建設が始まっていますが、現場検証を兼ねてます。

午後3時過ぎにはジャカルタに戻りますが、皆さんが22時発のフライトでお帰りになるまで、
日曜日ですが、お付き合い(打ち合わせ)せねばなりません

そして今夜からまた取引先の方が来られ、木曜日まで居られます。

週末返上で忙しい毎日が続きます(^_^;)
飲酒量は増え、運動不足が加速されます。


<ここから追記です>

2日間の休日勤務を終え、帰宅しました。

土日の片方が仕事で潰れることは珍しくないんですが、土日丸々仕事で
潰れたのは結構久しぶりです。

かつて、日本から中東に出張したとき、金曜が休みの湾岸諸国に金曜日の夜に
到着し、土曜から木曜まで6日連続で働いた後、木曜の夜にイスラエルに移動し、
金曜日はイスラエルで仕事(イスラエルは土曜日が休み)をし、その夜レバノンに
移り、土曜日はレバノンで仕事し(レバノンは金曜日が休み)、さらにシリアに
移動して休みなく業務を続けたことがあります。(シリアも金曜日が休み)

シリアには2-3回行きましたが、今はとんでもないことになってますよね(>_<)

●本日のローラー台:     25km

さて、今日は朝5時起きの6時出発でしたが、朝2キロだけローラー漕げました。
でもって帰宅後23km漕いだので合計25kmです。


自転車天国のとばっちり

事故による怪我のため、かれこれ2ヶ月、自転車に乗れてませんが、ジャカルタでは市内中心に位置する
目抜き通りである「スディルマン大通り」と同じ延長線上にある「タムリン通り」で毎週日曜日に自転車&
歩行者天国(車両乗り入れ禁止)が実施されております。

以前は、隔週で、かつ側道は車両通行可能だったので、昼近くなると、メイン車道(3-4車線)はガラガラの
状態で、自転車が悠々と走っているのに、側道は自動車で超渋滞みたいな状況だったんですが、最近は
毎週実施されており、かつ側道も車両通行禁止となったので、裏道が大変なことになってます(^_^;)

昨日の出張はフライト出発時刻が「8:20」。
偉い人を連れての出張なので、乗り遅れは有り得ないし、ギリギリでバタバタするのも許されない状況
でしたので、かなりの余裕を見て、ホテルを「6:30」に出発することにしました。

通常ならアパートから近い(というか同じ建物)のホテルにお客を泊めるのですが、今回はご本人の
ご希望もあり、アパートから2-3km離れた場所にあるホテルに泊まってもらいました。

アパートからこのホテルまで、通常なら車で5分、少々混んでても10分あれば余裕で着きます。
しかし、チャリ天のため、裏道を迂回せねばならず、30分近く掛かる恐れがあり、遅刻は許されない
状況だったので、やむなく6時前にアパートを出発しました。

まだ早朝で、しかもラマダン(断食)中で、大した渋滞はなかったんですが、それでも普段なら5分で行ける
距離に20分以上掛かりました。

日本でも同じですが、歩行者天国が実施される日時に車に乗ると、ロクなことがないですね(^_^;)



それにしても、土日を業務出張で潰してしまうと、月曜日の朝に全くフレッシュ感がないですね。
私は特に「サザエさん症候群」ではありませんが、土日にキッチリ休んでリフレッシュできれば、
月曜の朝は「さあ、これから一週間頑張ろう!」という気になれるんですが、土日も仕事をして
しまうと疲労感が高まりますね。

まあ、仕方ありません。
毎週のように休日出勤している人たちも居るのですから、贅沢は言えませんね。



インドネシア 就労ビザがなかなか取れない(^_^;)

今週は出張がないんですが、来客も多々あり、何だか妙に忙しい。

さて、一昨日は工場建設現場を視察してきたんですが、今までずっと事務屋だったので、売り買いの
交渉は慣れていたものの、工場建設を発注するなんて初めてのことで、まだ土木作業の段階では
ありますが、自分が契約して発注した作業が実際に行われているのを見るのは感慨深いですね。

9月からは機材の据付けが始まるので、現場に監督員として大勢の日本人が入ってくるのですが、
そのビザの手配が大変です。

通常の出張者(視察や交渉を目的とする)であれば、出張ビザで対応できるのですが、2-5ヶ月の
期間限定の監督業務とは言え、現場で実際に作業服着て、機械の操作もするようなポジションの場合、
出張ビザではなく「就労ビザ」が必要となります。

出張ビザでそういう仕事をしているのが当局にバレると逮捕の上、強制送還となってしまいます。
ところが、この「就労ビザ」というのがなかなか取れない。。。。

というのも、基本的にインドネシア政府としては、自国民の雇用を確保したいので、外国人の就労は
避けようとするのが原則。

しかし、インドネシアで働く外国人が、自国民を教育し、よりハイレベルな業務をこなせるようにして
くれるのであれば、長い目で見れば国益となることから、例外的に外国人の就労を認めようというのが
基本方針です。

実際に就労ビザを申請する際には、最低でもインドネシア人2名の実名を挙げて、「この人とこの人を
指導する立場として勤務させる
」と記載せねばなりません。

なので、インドネシア人でも十分にできるような(できるように見える)仕事に就くことは禁止されており、
特に工場や現場で作業服を着て働くような人はよりチェックが厳しくなります。

今回の場合、実際には経験豊富で、インドネシア人には真似できないような仕事をしてもらわねば
ならないことから、日本人技術者に対する就労ビザを取得しようとしているのですが、労働省の担当官
からしてみると、本当に外国人でしかできない仕事なのか判断がつかないわけです。

なので、なかなかビザが下りないし、そもそも「外国人枠」を取得・維持するのが難しい。

工場用の機材は着実に出来つつあり、リミットも迫っている現状、焦りを感じております。。。。。


●昨日のローラー台:    14km


今日明日は取引先との会食となるので、ローラー台は焦げません。
最近、平日に飲まずに帰宅する日って週に1日あるかどうか。
土日も飲み会が入ることありますしね。

まあ、家で自炊するのは、週に2回程度かなぁ。。。。



レバラン特別賞与

昨夜は取引先の出張者と会食だったんですが、一次会で終了。
今夜は二次会(カラオケ)まで行こうということになってます。

会社の就業時間は8時半に始まるので、普段は7:45頃にアパートを出て
8時過ぎに会社に着くような感じなんですが、今日は9時にお客さんをピック
アップする必要があるので、アパートを出るのは8:45で間に合います。

しかし珍しく6時過ぎに起床したので、ローラー台を25km、腹筋運動を
200回もやってしまいました。

飲み会が続く毎日なので、朝にしっかり運動できると嬉しいですね。

というわけで、アパートで待機中にこの記事を書いてるんですが、メイドさんが
来てしまいました。

8/17-8/22はレバラン(断食明け)休暇のため勤務できないとのこと。
まあ、仕方ないですね。 でもって、来週には給料とTHR(レバラン特別給与)
払わなければなりません。

THRとは法律で決まっている特別給与で、通常1ヶ月分が支給されます。
レバランは家族を連れて故郷に帰ったりするので、何かと支出が嵩むため、
制度として定着したようです。

中東の場合は、THRは一般的ではないのですが、出稼ぎ労働者が多いことから、毎年
「1ヶ月」の有給休暇を与えることが義務付けられております。

つまり、12ヶ月分の給料で11ヶ月しか働いてもらえないということですね。

ところが、祖国のないパレスチナ人社員は帰る場所がありません。。。。。
彼らから、「休暇は要らないので、1ヶ月分余計に給料をもらえないか?」と要請され、
当時社長だった私は、給料よりも働いて稼いでもらう方がずっと重要と考え、了承しました。

つまり、インドネシアと同じ「13ヶ月分の給料で12ヶ月働く」という制度を個人的に
認めてしまったということですね。

まあ、リーズナブルな措置だったと今でも思ってますが(^_^;)

●本日のローラー台:  25km  (平日朝としては最長記録♪)


今日は仕事の打合せが17時過ぎには終わりそうなので、1次会のお店を18時半で予約してるんですが、
良く考えてみると、二次会のカラオケは20時半にならないと開かない。

実際には18時くらいから飲み始める可能性高いんですが、2時間以上飲んでたら、結構酔っ払って
しまいそう(^_^;)

今朝は普段より早起きしてる分、二次会で寝落ちしてしまうかも(>_<)






インドネシア語の上達スピード

私は昨年7月にジャカルタに赴任しましたが、ジャカルタ駐在になることは少なくとも5月中旬には
確定していたし、正月早々から可能性が高いことは分かってました。

にも関わらず、自転車や飲み会に時間を取られ、インドネシア語の勉強は全くしてませんでした。
一応一冊だけ教本を買いましたが、それを初めて開いたのはジャカルタに赴任する飛行機の中
というくらい、全く勉強せずに赴任した訳です(^_^;)

なので赴任当時(昨年7月)に知っていたインドネシア語はわずか「5単語」だけ。

「1」=Satu
「2」=Dua
「3」=Tiga
「ありがとう」=「Terima Kasih」
「トイレ」=「Kamar Kecil」

しかも、「ありがとう」と「トイレ」は、1981年に初めてインドネシアに旅行した際に覚えた言葉であり、
ジャカルタ赴任の可能性が高まってから新たに覚えたのは、数字の「1・2・3」だけという、何とも
怠惰な人間でした(^_^;)

なぜそこまで全く準備をせずに赴任したかと言うと、1989年にフランス語圏アフリカに赴任した際、
事前に約1年フランス語の勉強をしていたんですが、その1年で覚えたフランス語よりも、赴任後の
1ヶ月に覚えたフランス語の方が遥かに多かったからです。

つまり「日本で勉強するのは無駄(時間的効率が悪い)」「語学の勉強は現地でやった方がずっと
効率的」という思いがあったので、インドネシア語の練習をするくらいなら、日本でしか出来ないことを
少しでもたくさんやっておこうと思って、事前勉強なしで臨んだ訳です。

インドネシア語は簡単だ」「世界一簡単な言語だ」とか言う人も少なくありませんが、私にとっては結構
難解な言語です。

簡単だと言う人が理由として挙げるのは、「時制がない」ことや「単語の羅列である程度通じる」ことを
挙げますが、私は逆に、その方が難しいように感じます。

変化形という意味では、英語は世界一簡単と言っても過言ではなく、ラテン系のフランス語の変化形は
ひとつの単語に20くらいの変化形があったりしますが、規則性が明確なので、一旦覚えてしまうと
それほど難しくはありませんでした。 最初はチンプンカンプンでしたけど(^_^;)

ジャカルタ着任時に「5単語」しか知らず、まさに「右も左も分からない」(右という単語も、左という単語も
知らなかった
)状態だったんですが、まず最初に必須なのは、英語を殆ど話せない運転手との会話に
必要な単語ですよね。

「何時に来て」「今日はおしまい」「どこどこに行って」「右に曲がって」「真っ直ぐ行って」みたいな言葉は
さすがに1ヶ月くらいで覚えました。

前任者からは、「3ヶ月くらいで多少は喋れるようになるよ」と言われてましたが、3ヶ月では殆ど実感は
なかったですね。 1ヶ月で覚えた単語より、その後の2ヶ月で覚えた単語の方が少ないみたいな(^_^;)

「これじゃあダメだ」と思い、亡父の事務所から頂いてきたインドネシア語の参考書を少しずつ読み始め
たところ、赴任後6ヶ月くらい経った時点では、カラオケ屋のオネイサンと、稚拙な会話程度はできるように
なりましたかね。

「どこから来たの?」「可愛いね」「歳はいくつ?」みたいな(^_^;)

そしてさらに半年経過した今現在。
どうだろう。。。。。「中1で習う英語レベル」くらいまでは上達したかな。
100~200単語くらい覚えただろうか。 日本語で言えば、3-4歳児くらいのレベルかなぁ。。。。

予定では、あと3年は居るはずなので、もっと一生懸命覚えないといけないですよね。
皆さんが「夜間学校」と称する「カラオケ屋」でオネイサンと会話することで、メキメキ上達する方も少なく
ないのですが、私の場合、酔っ払うと同じことしか言わなくなるので、そろそろ夜間学校でのインドネシア語
上達は限界に達してきた感があります(^_^;)

やっかいなのは、会話ではあまり使わないけど、文章には多々出てくる「接頭辞」と「接尾辞」。
これが付くと「語幹」が分かりにくくなるのでやっかいです。
しかし、この辺もクリアして行かないといけないですよね。

もう何ヶ月も前のことですが、会社内では英語が通じてしまうので、インドネシア語を使う機会がないこと
から、部下に「俺はこれから極力インドネシア語を使うから、間違っていても下手でも付き合ってくれよな」
と宣言したんですが、業務上で勘違いが生じるとやっかいなこともあり、今では殆ど英語に戻ってしまい
ました(^_^;)

車で移動中とかの雑談(重要でない会話)ならば、半分くらいインドネシア語でもできる(というか部下が
俺に合わせて簡単な言葉を選んで使ってくれる)んですが、仕事の話は私のインドネシア語よりも、彼らの
英語力の方が数倍上(もちろん、私自身も英語の方がずっと楽)なので、つい英語になってしまいますね。

さて、今日は真っ直ぐ帰れそうです。
なぜなら、私を誘ってくれる3人(3組)の内、社長とM君は会食、ジョニ黒君は休暇中、そして私は昨晩
飲み過ぎたので、まだ頭が痛いという状況なので、まっすぐ帰ってローラー台を漕ぐ予定です。



●本日のローラー台:              km




事故から2ヶ月経過

6/10の「大腿骨骨頭(股関節)破壊骨折」「鎖骨(2ヶ所)骨折」「肋骨(5本)骨折」という大怪我をした
事故から、今日で2ヶ月経過しました。

股関節は完全に破壊されてしまったので、金属製の人工股関節を移植、鎖骨は金属ボルトで固定、肋骨は
自然治癒となりましたが、2ヶ月経過して完治したのは肋骨だけです。

股関節・鎖骨共にまだかなりの痛みが残っており、運動をするには支障ありな状態です。

事故後2ヶ月経過したので、後日の参考のため、痛みの回復状況を簡単にまとめてみることにします。

<事故(6/10)直後から手術(6/11)まで>

下半身は大腿骨、上半身は肋骨の激痛のせいで、相対的に鎖骨の痛みはあまり感じなかった。
上半身・下半身ともあまりにも痛みが激しく、寝返りはおろか、ベッドの上で1センチ身体を動かすことすら
できないほどの激痛。   但し両手の指は何とか使える状況。

<手術(6/11)後、退院(6/15)まで>

ベッドをフラットにすると、身体の重みで肋骨が痛むため、少し傾けた状態で就寝。
手術翌日(6/12)に初めて車椅子に乗る(但し自分では動かせない)。
同日、歩行器・松葉杖による歩行訓練開始。
トイレも自分で行けるようになる。
但し起き上がったり、ベッドから降りたりする動作には全身の激痛が伴う。 鎖骨は気にならない。

<退院(6/15)後、ジャカルタ帰任(6/23)まで>

退院日からお酒は解禁してたし、松葉杖で歩き回ることはできたが、左足が右足の倍くらいまで腫れて
膨らみ、手術した場所よりも、腫れた痛みの方が苦痛であった。
鎖骨は相変わらず気にならない程度。

但し、股関節の可動域が極めて限られており、靴下を脱着に苦しむ。
屈むことが困難であるため、シャワーを浴びても左足の膝から下は洗えない。

そんな状態なのに、飛行機に乗り遅れそうになり、杖を使わず1キロほど小走りしてしまった(^_^;)

<帰任(6/23)後~事故後1ヶ月(7/10)>

6/24出社時に松葉杖を使用したが、その後、一切使用せず。
ゆっくりなら杖なしでも歩けるが、階段は半歩ずつしか昇降できない。
1ヶ月後には下りは普通に下りられるようになったかな。

ローラー台は上半身の体重がサドルで支えられるため、歩行より怪我した足への負担が少ないこと
からジャカルタに戻ってすぐ再開。
但し、人工股関節とサドルの相性が悪く、痛くて10km以上連続では漕ぐことができない。
(これは現在でも同様)

<7/10~現在(8/10)>

それまであまり気にならなかった鎖骨が痛み始め、左手の使用が限定的に。
股関節の可動域は少しずつ増え、左足も洗えるようになったが、靴下の脱着は今でも痛みを伴う。
もうちょっとであぐらもかけそうだが、まだ無理。

可動域は増えたものの、股関節の痛みは1ヶ月前とあまり変わらず、相変わらず階段の登りは
苦痛を伴う。  平地歩行もまだ痛みを伴うため不自然。

正直、この1ヶ月、あまり痛みは回復していない。
この先どうなることやら。。。。


さて、最後にオマケです。

インドネシアのローカル自転車メーカー(ポリゴン)に関する記事を発見。

【インドネシア-製造】
自転車ポリゴン、今年は3 割増の8 0 万台販売

 「ポリゴン」ブランドの地元自転車メーカー、ディスポリー・インドネシアは、今年の販売台数を前年比
33%増の80 万台に引き上げる目標を示した。市場が冷え込む中、欧州向けOEM(相手先ブランドによる
生産)を中心に出荷台数を伸ばす考え。ビスニス・インドネシアが伝えた。
 ピーター販売促進担当ゼネラルマネジャーによると、今年の生産台数のうち7割の56 万台を60 カ国・
地域向けに出荷する予定。残りは国内で販売する。海外ブランドのOEMも手掛けており、輸出全体の8割に
当たる約45 万台を欧州向けに出荷する計画だ。
 ロニー取締役は、インドネシア国内向けのマウンテンバイクの販売にも注力する方針を示した。国内の総
需要は年間700 万台で、セグメント別では子ども用が最大のシェアを占めるとみている。
 ディスポリーは、年初に東ジャワ州シドアルジョで2カ所目となる新工場を稼働し、昨年よりも生産能力
を拡大。国内外の需要増加に対応するためで、従来からの工場は溶接工程と倉庫に用い、新工場で部品製造
から組み立てまでを実施する。


●今日は金曜日なので、ローラー台はお休みです(^_^;)



体重の変化 (過去のダイエット)

先週末は土日とも出張で潰れたので、今日は2週間ぶりの休日です。
この2週間、ほぼ毎晩深夜まで飲み食いしていたので、さぞかし体重が増加
してるだろうと、恐る恐るジムの体重計に乗ってみると。。。。。

驚くことに2週間前に70kgだった体重が、なぜか68kgに減ってます。
これって何? 重い筋肉が軽い脂肪に変わったってこと??
なんか不思議な現象です(^_^;)

私の場合、筋肉が十分にあることが前提ではありますが、身長から計算した
ベスト体重(BMI:22)は68kg台です。

今は運動不足にも関わらず、筋肉はともかく体重だけは、そのレベルになって
ますが、過去は色々と変遷してました。

現役でバリバリにアルペンスキーをやっていた学生時代や会社に入ったばかりの
頃は、足は太かったものの、上半身がヒョロヒョロだったので、体重は61-62kg
程度しかありませんでした。

20代後半になると、65kg程度まで増加していたでしょうか。
勿論、当時は体重など気にせず、好きなだけ飲み食いしてました。
運動はそこそこやってましたけど。

ところが、29歳の時に2度目の海外勤務となった頃から、全然運動しなくなり、
体重は増加の一途。
それでも、やはり70kgという大台はさすがにショックだったので、70kgを
超えるとジムとか行って少し運動してたりもしてました。

30代前半で帰国し、毎晩飲み歩いていたら、遂に体重が78kgにまで到達(^_^;)
それまで騙し騙し履いていたズボンが全く入らなくなってしまいました(>_<)

これでは不経済と思い、ダイエットを決断したのが36歳になる2000年。
今から12年前の辰年でした。

78kgまで膨れ上がってしまった体重を一気に絞ります。
週4回くらいのジョギングと腹筋、摂取カロリーも極端に減らします。

朝は従来より多目、昼はご飯少な目、夜は野菜とコンニャクくらいしか
食べませんでしたね。

大好きなお酒も、ダイエットビール500mlと缶酎ハイ350ml程度、飲み会も
週2回以下に抑えてました。

結果、3ヶ月で78kgあった体重が64kgまで減り、胴回りは88cmくらいから
70cm近くまで落としました。
ダイエット前は86cmのズボンすらきつかったのに、ダイエット後は27インチ
(69cm)のズボンですら履けるようになりました!

極端なダイエットは3ヶ月で終了し、その後は「高タンパク低カロリー」な
食生活を心上げ、酒量は元に戻りましたが、絞り切った体に筋肉を付けるべく、
ベンチプレスに励んだところ、体重は68kgまで戻しましたが、体脂肪10-12%
程度の理想的な組成に。

その後はサボったり暴飲暴食したり、頑張って絞ったりと体重は増減しますが、
概ね67-72kg程度の範囲に収まってますね。

2ヶ月前の事故による大怪我&手術のあとは極端に運動量が減ってしまいましたが、
そもそもジャカルタに来てから殆どロングライドをしておらず、かつ夜は不摂生が
続いているので、体重は増えてないものの、体の組成はだいぶ悪化してしまった
ように思われます(>_<)

●本日のローラー台:  26km
 エアロバイク:    60分
 腹筋運動:      300回

JAL123便・墜落事故

今日はシンガポールの病院での再検査を明日受診するため、今からシンガポールに
向かうところです。

今を遡ること27年前の今日、8月12日、羽田発・大阪行きの「JAL123」が
御巣鷹山に墜落し、500名以上の犠牲者を出すという、未だかつて犠牲者の
多さでは過去最悪の事故であり続けている大惨事が起きました。

当時20歳、大学3年生だった小生は、伊豆下田の旅館でバイトしていたんですが、
丁度客室に布団を敷きに行く夕食後の時間に、どの部屋に行っても一様にみな
テレビのニュースを見ていたのが、とても印象的に覚えてます。

直接知人が犠牲になったという訳ではないのですが、飛行機に頻繁に乗る
人間の一人として、是非一度御巣鷹山に犠牲者の慰霊に行きたいと考えている
のですが、未だに実現してはおりません。

明らかに深刻な異常事態が発生し、墜落する可能性が極めて高いことを認識
しながら数10分も機内で座っているしかなかった乗客の恐怖と無念を
考えると、何と表現して良いか言葉が見つかりません。

それはそれとして、JAL123便のボイスレコーダーと思わしき動画(音声)を
みつけたので、下記します。

JAL123便・墜落事故



●本日のローラー台:   27km


(事故&手術後) 再検査の結果

今日は6/10に起こした事故(手術は翌日)の術後検診を受けるべく、シンガポールの病院に行って
来ました。  午後は仕事の打合せ。

結果はまあまあ順調という医者のコメントでしたが、鎖骨固定のために入れた金属プレートが浮き上がって
おり、再手術で取り外した方が良いとのことでした。 また体にメスを入れるのか。。。。orz

鎖骨の治癒状況は80%程度であり、完治まではあと1ヶ月くらい掛かるだろうと。
完治後2-3ヶ月様子を見て、プレートを外す手術をするとのこと。

股関節は金属(チタン)製の人工股関節を移植しましたが、骨との融和は順調だそうです。
痛みを感じるのは、筋肉がまだ元通りになっていないからだろうとのことでした。

一方、自然治癒だった肋骨(5本)は完治してるとのこと。
ほぼ、自分の感覚通りの医師診断でした。

ちなみに自転車は乗って良いとの許可が出ました。

しかし医者の許可が出たからと言って、自転車で起こした事故で、一千万円近い搬送・治療費が掛かり、
(自分の部の経費で処理とは言え)会社に大迷惑を掛けてしまった以上、すぐには再開できません。 
周りも当分再開するはずないと思ってます。

保険に加入するなど、しかるべき手続きを済ませ、周りの理解も得た上で、タイミングを見て再開しようと
思ってますが、年内はまあ無理でしょうね(^_^;)

一方、ゴルフは少しずつ始めて良いとのこと。
但し、50%の力でやることという条件付きです。
ハーフスイング程度でしょうか(^_^;)

ランニングはまだダメ、速足ウォーキングならOKとのこと。
水泳もバタ足はOKだが、平泳ぎはダメとのことでした。
やはり足を広げるというのはリスキーなんですね。
あぐらもまだダメみたいです。

基本的に歩くこと(長距離・速足)はゴルフを含めお勧めだが、足を横に開く動作はまだ慎重に
ということでした。

術後11日からローラー台は始めてますが、これは問題なかったようです。

但し、鎖骨はちょっとダメでしたね。
普通に生活している以上、左腕を全く使わないわけには行きません。

一番悪かったのは、術後1ヶ月経過する前に、ボスの招集に応じてシンガポールに出張し、機内で重い荷物の
出し入れをした際に、肩に大きく負担が掛かり、以降鎖骨が痛むようになったので、この際にプレートが
浮いてしまった可能性が高いです(>_<)

さて、午後の打合せが長引くことを見込んで、シンガポール20時20分発のフライトを予約してましたが、
16時半過ぎに終わったので、急遽18時45分発の便に予約を変更し、ジャカルタに帰任しました。

赤道を超えての飛行時間は1時間半ですが、時差が1時間あるので、19時過ぎにはジャカルタ到着しました。
到着予定時間は1945だったのですが、乗客は1/3居るか居ないかだったので、定刻より早く出発し、
早く到着することが出来ました。 滅多にないことですが。

ラマダン(断食月)中にイスラム教徒が90%を占めるインドネシアで、国営航空会社であるガルーダ機内で
お酒を飲むのは少し憚られますが、昨日も今日も夜ということを言い訳に、ワインを4杯ほど頂きました。

もっとも昨夜はホテルに着いた時点ですっかり醒めていたので、免税店で購入したアルコール度15%の
カクテルボトルをほぼ1リットル飲んでしまいましたが(^_^;)

しかし、他に選択肢がないとは言え、甘めのお酒を飲み続けるのは辛いですね。
最も飲み続けられるお酒はウイスキー、次に焼酎やウォッカ・ジンなどのスピリッツですね。
レモンサワー程度であれば、ある程度飲み続けられますが、それ以上の甘さになるといけません。

今日も機内で4杯ワインを頂きましたが、帰宅時にはすっかり醒めており、ローラー台でもやろうかという
感じです(^_^;)

↑↑ ここまでが機内で書いた文章です。


(帰宅後の追記)

実際には、そういう気分にもなれず、明日早起きしてローラー台だぜ! な気分です(^_^;)
と言いながら、毎回寝坊するんですけど。。。。orz









8/14 今夜はブカプアサ (Buka Puasa)

(この記事は機内でワインを飲みながら書いたので、ほろ酔い気分で文章が雑ですので、ご容赦下さい)

7/20から始まったラマダン(断食月、インドネシア語では「プアサ」)ですが、いよいよ最終週に突入し、
今週末にはラマダンが明け、断食明け(レバラン)大祭となります。

ラマダン(プアサ)中は日暮れと共に、Breakfast (「Break = Buka = 終了」「Fast = Puasa = 断食」)
となり、飲食を開始する訳ですが、ラマダン月の後半には、ブカ・プアサと言って、日暮れ後に皆で
集まって会食するイベントを開催するのが一般的となっております。

これは中東でも同様でしたね。

昨年のブカプアサは「こちらの記事」です。

昨年のブカプアサでは、「お酒はあまり強くないけど、白ワインは好きなんです」という秘書に言い顔したいが
ために、無謀にも店員に「白ワインではどれがお奨め?」と聞いたら最後、1万円を超えるワインを奨められ、
秘書に「これ頼んでも良いかしら?」と言われ、断り切れずに、総額4万円以上負担する羽目になりました(^_^;)

赤ワインだって4000円超なら高いなって感じるのに、白ワインで1万円超ですよ! 有り得ないっす。
でもって、その秘書と俺とで2人で飲むのかと思いきや、運転手を含め全員が「私にも下さい」と言うので、
結局私が飲んだのはほんのグラス1杯。 世界新記録的に高いワインでした(>_<)

でもって、今年3月の送別会。
またもや「その秘書」に高い店を指定され、ウイスキーを持ち込んで少し節約したのは良いのですが、それでも
一軒目だけで4万円(^_^;)

酔っ払ってトチ狂った私は、男性営業スタッフを連れて無謀にもカラオケに行き、3万円豪遊。。。。orz
総額7万円の痛い授業料」でした(^_^;)

ブカプアサで4万円強、歓送迎会で7万円浪費した私としては、同じ過ちは繰り返せません。
なので、今年は敢えて酒が飲めない「パダン料理」のレストランを選びます。

パダン料理はインドネシア国内でも有名な料理で、辛くて美味しい。
でもパダン人(ミナンカバウ人)は敬虔なイスラム教徒なので、パダン料理屋ではお酒は飲めない。

飲めない、酔わない以上、トチ狂ったこともしない。
ということで、最高級パダン料理屋を予約しましたが、今年の予算は酒抜きなので、2万円程度で収まること
でしょう(^_^;)

しかし冷静に考えると、聖なる月であるラマダンなのですから、イスラム教徒に無理矢理飲酒を強要するが
ごときブカプアサは邪道であって、こうやって酒抜きにインドネシア伝統料理を頂くのが正当であると信ずる
次第であります。

スパイシーで美味しいパダン料理を楽しんだあと、私は自宅でチビチビとスコッチのロックでも頂く予定。
さあ、この予定通りになるのだろうか? それは神のみぞ知る(^_^;)

(追記)

上記は、昨日機内でワインでほろ酔い気分になりながら書いた文章なんですが、今日になってから、事情が
変わりました。

パダン出身の部下に「俺が提案したレストランでどうか?」と聞くと、「あそこも悪くないですが、味に特徴が
ありません」「以前、前任の方と行ったレストランがとても美味しかったです」と言うので、「じゃあ、そっちに
しようぜ」ってことになってんですが。。。。(^_^;)

秘書に予約を入れてもらったところ、返信にメニューを添付してもらったんですが。。。。。高い。。。orz
料理は一皿300-500円くらいなんですが、ビール小瓶が平気で500円とかする(^_^;)
普通の店なら300円程度なんだけどな。

ウィスキーの持ち込み料は1本2500円だそうです。
今年こそは「酒なし」で節約しようと思っていたのに。。。。。また4万円コースかもしれません(>_<)

せめて、トチ狂って2次会に行くのだけは、絶対に止めておこう(^_^;)

詳細の顛末は明日報告します。





昨夜は恒例の「ブカ・プアサ」夕食 (パダン料理)

今日は終戦記念日ですね。
数日前には韓国大統領が竹島に上陸するは、今日は尖閣諸島に香港の活動家が上陸するとか、なんだか
キナ臭い雰囲気になってきましたね(^_^;)

さて、インドネシアは断食月が終盤となっており、あと数日でレバラン大祭となるわけですが、昨夜は例年
行事である「ブカ・プアサ」夕食を開催しました。

高級ではあるが、お酒は出ない「パダン料理屋」にしようと思っていたんですが、パダン出身の部下から
パダン料理なら、もっと美味しい店がありますよ」と言われ、そちらに変更したところ、しっかりお酒の飲める
お店でした。

しかも、有料VIPルーム(1時間3000円)が予約されており、吃驚です(^_^;)

下の画像が、有料VIPルーム。。。。
「ミナンカバウ」な雰囲気です。

DSCN3286.jpg


ちなみにメニューのお値段はこんな感じ。
ちなみに現在「1円」が「120インドネシアルピア」なんですが、メニューの値段に税・サが「21%」
付くので、表示価格から「0」を2つ取ると、丁度日本円になる換算です。

DSCN3283.jpg

DSCN3284.jpg


一品(一人分?)のお値段は300-500円が中心価格帯で、安いものは150円から、高いものは900円
というメニューがありました。

しかし一番安いビールが500円、ウィスキーの持ち込みは1本2500円と最高級クラスの価格帯です(^_^;)
ちなみに普通のお店は持ち込み料は750-1200円程度、カラオケ屋でも1500-2000円ですので、
2500円は相当高い。

さて、続々と料理が運ばれてきます。
ちなみに、注文は全て「パダン人」の部下にお任せ。
他の5人のインドネシア人はいずれも別地方出身なので、ここはパタン人の彼が大活躍です。


DSCN3289.jpg


上の料理は、パダン人の部下が「世界一美味しい料理である」と胸を張った「ルンダン・サピ」。
「ルンダン・ダギン」とも言います。
牛肉をスパイスとココナッツ・ソースで煮込んだ逸品です。
私もこれが大好きで、これが食べたいので、パダン料理を選んだようなものでした。


DSCN3291.jpg


そして、下の画像の料理ですが。。。。。。。
何だと思います???


DSCN3292.jpg


これもパダン名物料理の「グライ・オタック」です。
「オタック」とはインドネシア語で「脳味噌」を意味しますが、そのものズバリ!
「牛の脳味噌」料理です(^_^;)

これで「狂牛病」感染決定です(>_<)

食感は微妙でしたが、味付けは美味しかったです。

前述の「ルンダン」は誰からも文句の出ない逸品でありますが、「脳味噌」となると賛否両論(^_^;)
パダン人の部下は最初に手をつけてましたが、最後まで手を付けなかったインドネシア人も数人。
私はもちろん食べましたよ(^_^;)

少し話題が逸れますが、先週末たまたま亡父が残してくれたインドネシア関連の本を読んでいたところ、
インドネシアでは、「頭のおかしい人」(ちょっとイカレてる人?)のことを、「オタック・ミリン」と言います。
「オタック」は「脳味噌」、「ミリン」は「斜めになっている」という意味です。

つまり「脳味噌が斜めに傾いている」という意味で、頭のおかしい人を「オタック・ミリン」というのを、つい
先日覚えたばかりでした。 「オタック」も「ミリン」も数日前に覚えた単語でした。

インドネシア人は、人差し指を額の前に斜めにかざし(額に触れ)ながら、「オタック・ミリン」と言って
「頭のおかしい人」に対して顔をしかめるそうです(と、その本に書いてありました)。


さて、パダン料理に戻ります。

私は「グライ・オッタク」という料理名は全く知らなかったのですが、パダン料理で牛の脳味噌を使う料理が
あるのは知ってました。

「ルンダン」の他に何を頼もうかと話していたところ、パダン人の彼が「なんとかオタック」と口走り、別のスタッフが
それって狂牛病が危ないんじゃない」と反応していた(ちなみに昨夜の会話は99%インドネシア語)ので、
私は「え?何? オタック・ミリン?」と言って、額に人差し指を斜めにかざすと、スタッフ全員に大受け(^_^;)

実際に食べるときも「オタック・ミリン」と口走りながら食べてました。

さて、恒例の集合写真です。

DSCN3298.jpg



私の右に居る女性は、産休を取っている秘書の代わりに来てもらっている臨時秘書です。
ちなみに、大活躍のパダン人の彼は、左から二番目のちょっとふっくらしたメガネ君です。

一番奥と手前のお誕生日席に座っているのは運転手。


さてさて、気になる会計ですが。。。。。。。。

まずは部屋代。
「1時間3000円」と言われてましたが、料理の合計が15000円を超えていれば無料になると。
これは楽勝でクリア。

一番のネックの飲み代ですが。。。。。。。。
ビール13本で6500円也。  ソフトドリンク代は2000円強。
ウィスキーは開けず、ワインも封印しました(^_^;)

でもって料理が「14品目、のべ35品」で合計12000円ほど。
一皿平均「340円」程度となりました。

お会計総額は全部合わせて「2万円強」で済みました(^_^;)
昨年の半額でしたね。

そして懸案の2次会。。。。。。。

ブロックMも目と鼻の先。
1次会も思ったより低額で済んだことから、出口で待機していた男性スタッフ2名に対して、「よし、2次会
行くぞ!
」と声を掛けようと思った矢先。。。。。

「我々は一旦事務所に戻って、車で帰りますから」とサラリと言われ、私独り残されてしまいました(^_^;)

時間はまだ9時前です。
開けなかったウイスキーボトルも持ったままです。

このまま真っ直ぐは帰れないよねぇ。。。。(^_^;)

というわけで、独りで「樹林」に行ってきました。

ボトル持ち込み代「2000円」、ソーダ水・氷・席料に、〆のラーメン代を加えて「4500円」程度。
まあ、常識的なお値段でしょう。

というわけで、昨夜の出費は「合計25,000円」程度で収まりました。
昨年や、3月の歓送迎会に比べれば、可愛い出費額ですよね(^_^;)

まあしかし、メイドさんや運転手にもレバラン賞与(小遣い)を渡したりと、何かと出費の多いラマダン月で
ございます。

さて、昨日は敢えて、1次会も2次会も英語を封印し、ずっとインドネシア語で会話してました。
1年ちょっと経過して、やっとどうにか低レベルな会話なら、英語なしでも、どうにか会話になる。

もっとも、相手が気を使ってくれて、解りやすい単語限定で、しかもゆっくり話してくれるからこそ
なんですけどね。


インドネシア人同士の早口なやりとりは全然理解できませんから(^_^;)


●今日こそ、ローラー台やりますよ!!












プロフィール

Muirwoods

Author:Muirwoods
2010年1月、45歳にして、短距離通勤用として購入したクロスバイク(MARIN Muirwoods、26インチMTB仕様)がいつのまに生活の中心的存在となり、Muirwoods号で300キロ超のロングライドに挑戦し、2010年末46歳でロードバイクデビューしました。

ロードバイク1台目は「Cervelo RS」。
11年7月にジャカルタに赴任、CAAD10を新規購入して持ち込みましたが、事故で大怪我をしてしまい、現在自転車活動は休止中です。

本年10/10を以って50歳になりした。
50代の10年も、頑張ります!!

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