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夢で見るのは「できないこと」ばかり

私は子供の頃から、空を飛ぶ夢を頻繁に見ます。
極論すると、夢の中では常に空を飛べるのです。

正確に言うと、大空高く舞い上がるわけではなく、地上からジャンプして2階くらいの高さまで、
頑張れば3階くらいの高さまで飛び上がれるんです。

さすがに10階までは飛び上がれないんですが、その浮揚力を使って、10階から怪我せずに
ゆっくりと地上に降り立つことができるんですよね(^_^;)

毎晩、夢の中では「飛べる」ので、夢を見ているときは「自分が飛べるのが当たり前」な感覚に
なるし、夢を見ているときは、それが夢であることを認識してないので、自分は空を飛べる
人間であると勘違いしてしまいます。

さて、空を飛ぶのと同様、夢って、普段できないことを見ることが多いですよね。
南国に駐在しているときは「スキーをしてる夢」をよくみてましたし、日本に居ないときは、「日本で
何かをしている夢」をよく見ます。

最近は、悲しいことに、「走ってる夢」をよく見ます(>_<)  「自転車に乗っている夢」も。
どちらも、今の自分にはできないことなんですよね。。。。。orz



<追記>

そう言えば、「酒飲んでる夢」って殆ど見たことないかも(^_^;)




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10/2 厳しいフライトスケジュール

週末に、遡って書いてます。

この日は、朝9時過ぎに会社を出て、フルーツ会社との面談と市場調査をし、
ランチ・ディナー共にフルーツ会社の人にご馳走になってしまいました。

日本等からの出張者は日曜日の夕方に入ってきたんですが、その日の夜だけ
お相手し、肝心の月曜日のパイナップル農園の視察は同行しませんでした。

同行しなかった理由は、月曜日は資材関係の電話会議(東京2社・インドネシア
3社の合計5社参加)があったからお断りしました。

もっとも、この電話会議は部下に任せて、後日報告してもらうことでも良かった
んですが、朝6時20分のフライトで出発、翌日も朝7時20分のフライトで
戻るスケジュールだったので、月曜日は4時起き、火曜日は5時起きせねば
ならないことから、電話会議を優先したもの(^_^;)

俺ならそういうフライトスケジュール組まないんだけどなぁ。。。。。
初日の早出は1日を有効に使うため仕方ないとして、2日目はもう1本
遅いフライトでも問題はなかったはず。。。

まあ、取引先(フルーツ会社)がアレンジしたので、文句言えませんけど。

フルーティなお仕事(^_^;)

相変わらず、忙しい日々が続いております。

9/29(土) 繊維関係者と会食
9/30(日) 食料関係者と会食
10/1(月) 資材関係の電話会議
10/2(火) 終日食料関係者と外出&会食
10/3(水) 15時まで食料関係の面談&会食、夜は繊維関係者と会食
10/4-9   Pending事項の処理&会社設立手続き
10/10-11  シンガポール出張(&病院検査)
10/10-14  資材関係出張者(10/11夜からアテンド開始)
10/14-20  別の資材関係出張者・工場機材搬入立会い
10/15頃   資材関連・船積み立会い
10/17-26  繊維関係者出張予定
10/28-29  別の繊維関係者出張予定
10/28-11/3 資材関係者出張予定

10/15(月)に日本出張の依頼があったので、週末を絡めて社費で日本に帰れる
チャンスだったのですが、上記予定にて動けず。。。。orz

さて、私がフォローしているビジネスラインは多々あるのですが、今回(9/30-10/3)は
珍しい分野の出張者が来てました。

それはフルーツ。
今回フルーツを扱っている本社の部長さんと、アジアの食品担当者の2人がインドネシア
に出張に来て、現地のフルーツ大手会社との打合せを行いました。

資材関係も例のトラブル処理が続いており、かなり手が掛かるんですが、他のビジネスを
一切フォローしないという訳には行きませんので、急ぎの案件は移動中の電話やBBで
処理するとして、重要なミーティングや現場視察には出席してきました。

ミーティング中にも各種フルーツ(赤メロン・青メロン・バナナ・パイナップル・グアバ・
キウィ)がテーブルに出てきて、試食しながら、品評会です。

インドネシア人って甘いもの好きなので、フルーツは全て日本的標準と比べてとっても甘い。
甘いキウィフルーツなんて初めて食べたぞ(^_^;)

トラブル処理は時間も掛かるし、自分が当事者であることから、解決方法に悩むことも
多く、ストレスフルですが、新規案件は情報交換と「将来こんなことができたらいいよねぇ」
という内容が中心となることから、比較的リラックスして対応できます。

今回も各種フルーツの大手流通業者の現場を視察したりと、普段とは違う仕事で、少し
気分転換ができた感じです。 昼夜と会食が続くのはちょっと胃腸には負担ですが(^_^;)

農家から集荷されてきたパパイヤ。 集荷時は新聞紙に包まれています。

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配達用小型トラック

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小売店(スーパー)での展示状況

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昨夜はインドネシア料理(高級店)で食べきれないほどの量のインドネシア料理を食べ、
夜中の1時までカラオケというコースでした。

大手業者さんがご馳走してくれたので、財布は個人的にもアカウント的にも傷みません。
今日のランチは、本部の部長さんが業者さんを招待しての豪華寿司ランチでした。

カロリー摂取量ばかり増え、運動不足なので、確実に体重増加まっしぐらです(>_<)

今夜の会食相手の出張者は、インドネシア国内出張からジャカルタに戻ってきている最中
(現地スタッフにてアテンド)で、市内到着は20時くらいになりそうなので、会食開始も
遅いので、どうにかブログ記事が書けました(^_^;)









ビール消費量ランキング(アセアン)

まずはこちらの記事から

越のビール消費量は東南アジアで首位=11年は26億リットル-ベトナム

 英系市場調査会社ユーロモニター・インターナショナルによると、2011年のベトナムのビール消費量は
26億リットルに達し、東南アジア地域で首位に立った。トップ3にはこのほか、2位にタイ(18億リットル)、
3位にフィリピン(16億リットル)が入っている。ベトナム紙トゥオイチェ電子版が2日報じた。
 4位以下は、インドネシア(2億3640万リットル)、マレーシア(1億7140万リットル)、カンボジア
(1億3630万リットル)、ラオス(1億3430万リットル)、シンガポール(1億820万リットル)の順。ミャン
マーは3040万リットルで9位だった。

 ユーロモニターは10年、ベトナムのビール消費量が今後、急速に伸びると予測。同国のビール消費量は09年
に16億リットルとなり、04年から56%拡大した。またオランダのビール大手ハイネケンのベトナムでのビール
販売量は10年に2億リットルに上り、同社にとって米国とフランスに次ぐ3番目の市場になったという。(時事)

一方、アセアン諸国の人口を見てみましょう。

順位 国名 人口/万人
-----------------------------
1 インドネシア 23987
2 フィリピン 9326
3 ベトナム 8785
4 タイ 6912
5 ミャンマー 4796
6 マレーシア 2840
7 カンボジア 1414
8 ラオス 620
9 シンガポール 509
10 ブルネイ 40


首位ベトナムは人口がインドネシアの半分以下なのに、ビールの消費量は10倍以上。
一人当たりで換算すると、ベトナムは「約30リットル」なのに対して、インドネシアは「1リットル弱」と
大差がついてますね。  

インドネシアは1日当たりで、たった「3ml」ですね(^_^;)

そのインドネシアで毎晩2リットル(年換算:730リットル)飲んでいる私は、インドネシア平均の
実に730倍です。 偏差値40000くらいでしょうか(>_<) 



出所は同じですが、こちらの記事は表付きでした。

アルコール消費量、緩やかに上昇
 インドネシアでアルコール飲料の消費量が増加傾向
にあることが、英調査会社ユーロモニター・インターナ
ショナルの調べて明らかになった。ただイスラム教国で
あるため、今後も緩やかな上昇にとどまるとみている。

 2011 年の消費量は2億4,920 万リットル。前年比
1.3%増、06 年比では15.6%増となった。東南アジアで
は4位につけたが、上位3カ国(ベトナム、タイ、フィ
リピン)とは10 倍近くの開きがあった。

 昨年の消費額は前年比10.0%増、06 年比2.7 倍の4
億9,800 万米ドル(約390 億円)。消費量に比べると伸
び率が高いものの、域内では消費量で8位のシンガポー
ルを下回る6位にとどまった。

 1人当たりのアルコール消費額は10.5 米ドルとなり、
域内主要6カ国中で最低の水準だった。ビールが最も高
い8.7 米ドル、これにワイン、ウィスキー・スピリッツ
が続いた。

 ユーロモニターのアナリストはNNAに対し、「イン
ドネシアのアルコール飲料の消費は、今後も非イスラム
教や観光客を中心に伸びる
」と語った。 

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10/5 社内稟議は実に鬱陶しい

倒産事件含め8月後半から色々なことが起きてますが、東京とアジアと
2社で出資(出資比率は東京が圧倒的メイン)して新会社を作ることに
なりました。

いつものことで、申請を通すのは容易ではありません。

「9/28迄に絶対にアジア側の決裁を取ってくれ」と東京本社から強い
プレッシャーを掛けられていたので、周りを説得し、かなり無理を言い、
譲るべきところは最大限譲って、何とか9/28に決裁を取ったんです。

東京に「こちらは何とか取ったが、そっちも取れてるだろうな?」と
確認したところ、東京からは「本部長と部門長が10/3迄出張なので、
決裁は10/4となる」との返信が。。。。orz

俺もガックリ来たけど、五月蠅いこと言いながらも協力してくれた、
シンガポールのスタッフからも「どういうことなんですか?」「こういう
ことやるから信頼を失うんですよ」と強烈なクレームが(>_<)

今週になって事態を確認すると、本部長は「こっちが先に決裁取ってから
アジアの決裁に時間が掛かるなんて事態にはできないだろう」と。

尤もな話だけど、間に挟まって「言ってることとやってることが違う」と
怒られるのは俺だからねぇ。。。。(^_^;)

勘弁してもらいたものです。

でもって、「10/4中には取れるんだろ?」と念押ししたら「打合せは10/5
の午後にセットしてある」と聞いて拍子抜け。

あれだけ、こっちにプレッシャー掛けながら、のんびりしたものだぜ。
まあ、偉い人の時間をもらわないと話にならないから、事情は分からないでも
ないんだけどさ。。。。

サラリーマンってホント、疲れます(^_^;)


雨季になりました

今年は雨季の始まりが例年より早いようです

9月中旬から、「今年の雨季は早く始まりそうだ」と言われてました。
去年は10月末から始まった感じですが、今年は10月初ではないかと。

案の定10/4の夕方は本格的な雨でした。
昨日もちょっと降りました。

日によって雨量はまちまちですが、毎日(特に夕方とか夜)に必ずと言って
良いほど降るのがインドネシア(ジャカルタ)の雨季の特徴です。

自転車乗りにとって、やはり雨季は鬱陶しいもので、少々暑いけど、雨が
降らない乾季の方が自転車は乗りやすいんですが、その乾季の大半を事故後の
リハビリ期間で潰してしまいました(>_<)

自転車はいつ再開できるか不明ですが、そうこうしている内に雨季に入って
しまい、ますます再開が遅れそうです。

事故前は雨が降っても、多少は減速しましたが、結構なスピードで濡れた
路面を走ってましたが、もうそんな怖いことはできません(^_^;)

事故から約4ヶ月経ちました

事故ったのは6/10なので、正確にはまだ4ヶ月経ってませんが、曜日的には
日曜日でもあり、丁度17週(119日)経過しました。

1ヶ月単位でほんの少しずつ改善していくのですが、約1ヶ月で肋骨(5本)が
完治したこと以外では、今でも肩も脚も痛い状態が続いており、怪我前と比べ
激しく機能低下している状態です。

しかし、多少ながらも進展はあり、例えば水泳ですが、事故後1ヶ月くらいで
初めてプールに入った時には、水中で歩くのがやっとで、左手も動かせないし、
左足も平泳ぎキックは痛くてできませんでした。

なので、当初は右手だけ前に伸ばして、足はゆっくりバタ足みたいなことしか
できず、イライラするので、プールに入るのが嫌になってしまいました(>_<)

それが、2週間ほど前から、あまり左肩に負担はかけられない(なので敢えて
手の平は広げたまま)ものの、クロールができるようになり、遂に平泳ぎも
できるようになりました!

あと、事故から1-2ヶ月はズボンを履くのも一苦労で、靴下にも苦戦してましたが、
ようやく痛い方の脚でも立てるようになったし、靴下はもう殆ど問題なくなりましたね。

左足の可動範囲は事故後1ヶ月と比べて3倍くらいには増えた気がします。
でもやっぱり怖いので、体重はかけられませんけどね。

地べたに座る苦痛はだいぶ和らいできました。
但し、まだ完全な胡坐はかけず、左足は立てたままの姿勢ですが。


しかし自転車再開はまだ悩むところですねぇ。。。。
悩む以前にトラウマで怖いんですよね(^_^;)

ヘルメットも割れてしまったので、新調しないといけないし。。。。

●本日のローラー台:   約2時間
 本日の腹筋:      300回



日本が祝日な営業日

今日の日本は3連休最終日でお休みですよね。
日本が休みなのに働かされるのは今ひとつ不満ではありますが、まあ逆もあるので、致し方ない
ところでしょう。

日本が祝日なのに、朝早起きして出社するのは、何だか損した気分になりますが、実際に仕事を
始めてみると、電話もメールも普段の1/10程度であり、落ち着いて仕事ができる快適さを感じます。

ジャカルタは本社と同様に「月~金」が営業日であることから、祝日のときにしかこういう状態に
ならないのですが、前回の勤務地は、営業日が「土~木」だったことから、毎週土日は同じように
落ち着いて営業活動に専念することができました。

引き換えに、週1日しかない休日の金曜日は、朝からメールやら電話やらで、休んだ気がしない
ような状況でしたけどね(^_^;)

その前(自身にとって2度目の海外勤務地)も中東だったので、かれこれ合計7年半ほど、「土日が
営業日、休日は金曜日1日だけ
」という生活を送っておりました。

私が忙しい理由は、ただでも忙しい案件でトラブルが発生し、それに付随する問題に振り回されて
いることもあるのですが、そもそも担当ビジネスライン(商品)が多過ぎる(^_^;)

でもって、インドネシアは人口も多いし、経済発展目覚しい最中だし、かつここへ来て、中国ビジネスが
難しくなっていることから、インドネシアへのシフト等、新規案件も目白押しでございます。

食料品も担当しているので、「海老」だの「ウニ」だの「パイナップル」だの新たな商材が出てきますし、
今度は繊維分野で、とある日系大手カバンメーカーさんが、「中国に替わる(加えての)生産拠点として、
是非インドネシアからの調達を検討したい」とのリクエストが。。。。

ひたすら増え続ける取り扱い品目(^_^;)  体がついて行きませんねぇ。。。。。

今夜は元役員で、スキー部の大先輩でもある方がジャカルタ入りしているので、飲み会です。
でもって、明日の晩も会社の歓送迎会、明後日の夜はシンガポールで飲み会です。

来週の今頃は日本に居るかもしれません(謎)

●本日のローラー台:     朝10分。。。。





組織の縦横論と決断の速さ

今日は仕事ネタ(会社ネタ)ですみません。
色々考えさせられることあり、つまらないけど、組織論みたいなものを(^_^;)

さて、弊社の場合、海外の拠点は色々なステータスがあります。

1.駐在員事務所
2.事業会社
3.独立法人
4.支店

私の場合、アフリカと最初の中東は、上記1の「駐在員事務所」でした。
駐在員事務所は担当域内の出張を含めた取引先との交渉や、出張者のアテンド(ホテルや車の
アレンジ等々)がメインとなり、利益は計上しません。  経費のみの事務所です。

今では、この形態の駐在員事務所は非常に少なくなりましたが、20年前は、メールもインターネットも
ない時代ですから、こういう事務所の存在意義と役割は大きかったと思います。

利益がない分、基本的に商売上のリスクは取りません。
従って、取引上の「決裁事項」はなく、普段はひたすら外部のお客さんとの交渉に明け暮れます。

取引先との交渉の方針で本社と意見交換(ホットな議論も珍しくない)は頻繁にあっても、申請承認
事項はないので、ある意味気楽なポジションでした。

もっとも、ホットな議論がテレックス上のローマ字だったりしたのが懐かしいですが(^_^;)

TH WA KH NO POLICY NI MATTAKU DOOI DEKIZU X SAKIDEN DOORI NO HOUHOU DE NEGO SURUGA
BEST TO KANGAERU SHIDAI X YOTTE RE-STUDY YRSK ZZ

みたいな(^_^;)

YRSK って「よろしく」の略なんですよ(笑)
古き良き時代でした。


3回目の海外勤務は、上記2の「事業会社」(場所は中東)でした。

本社が49%、現地パートナー51%の合弁会社でしたが、現地パートナーからは、「日々の運営は
お前に任せる
」「利益を上げてくれれば、営業方針や決裁事項について口は出さない」と言われて
いたので、取締役会の承認が必要な「5000万円を超える与信供与」「1000万円を超える物品購入
以外は、全て自分で決裁できたので、責任は重かったですが、決裁は迅速でした。

ところが、今回(4回目)の海外勤務は、上記3の「独立法人」です。
しかも、本社直轄ではなく、「アジア法人」が上部組織として存在します。

なので、申請・決裁ルートは、「インドネシア法人・副社長」→「同・社長」→「アジア法人・ユニット長」
→「アジア法人・リスク管理部」→「アジア法人・CFO」→「アジア法人・CEO」というルートになり、
実に「6つ」(6組織)の承認を得ないことには、物事が進みません。

しかも、上記に加え、本部(本社@東京)の、部長・本部長・管理部・部門長の見解も色々とあり、
実に説得相手は「10組織!?」みたいな、大変な状況です。

何ひとつやるにも時間が掛かります。
皆さん経験豊富な優秀なビジネスマンであり、それぞれの経験や専門知識に応じ、実に色々な
アドバイスを頂くことができます(^_^;)

申請書の書き直しなんて、10回以上が当たり前(>_<)
しかも、違う国に居る人の決裁を取らなければならないので、テレビ会議やら何やらと大変な手間と
時間が掛かります。

明日からシンガポールに行くんですが、主目的は「病院での再検査」、でも折角シンガポールに行く
ので、上司2人に挨拶がてら30分くらいで現状報告でも軽くやろうと考えていたら、リスク管理部
からの提案で、関係者全員が直接ないしはテレビ会議の形で集まり議論することに(>_<)

資料の準備とかもしてないのに、何でこんなことになっちゃうかなぁ。。。。

さて、昨夜は監査役(元役員)の出張者を抱えて飲み会でした。
彼はスキー部の大先輩でもあり、私の怪我についても随分心配してくれました。

でもって、2軒目はないかと思いきや、カラオケ午前様(^_^;)

そして今夜も社内の送別会です。
さすがに明朝から出張だし、カラオケ2連荘は勘弁してもらいたいので、1次会で終わりにする
予定ですが、時として予定通りにならないことも。。。。。

まだ昨夜の酒が残ってるなぁ。。。

でもって、シンガポールから戻ったら、日本出張です。
忙しい毎日が続きます。

1週間で4回赤道を越える予定(^_^;)






東京オリンピック開会式から丁度48年経ちました

今日はシンガポールに出張中ですので。 短い記事しか書けません。

今から丁度48年前の1964年10月10日に、東京オリンピックの開会式が行われました。
とても良い天気、快晴だったそうです。

その日の朝、私はこの世に生を受けました。
あれから48年、マラリアにかかったり、大怪我をしたりと、色々ありましたが、今日も元気に
美味しいお酒を飲みに行ける幸せを実感しております。

今朝はアパートから直接空港に行ったのですが、部下からはHappy Birthdayメールを
英語やインドネシア語でもらいました。

シンガポールの入国審査官にも「Happy Birthday」と言われ、ホテルのチェックイン時にも
2人の職員から言われて、少し嬉しくなりました。

かつては「人生50年」と言われていた時代もあり、当時は数え年ですので、私の場合、
来年1月には「数え年で50歳」となります。

現代の日本の平均寿命は男性でも80歳弱ですが、病気や事故で若くして亡くなる方も居り
実際私も同い年の友人を何人も亡くしています。

怪我をして不自由な身ではありますが、日常生活にはほぼ支障なく、毎晩美味しいお酒が
飲めるのは、本当に幸せなことですよね。



シンガポール出張と術後の再検査

今回のシンガポール出張は、主目的が病院での再検査、そのついでに上司への定期報告という
ものでした。

先日の記事でも買いた通り、ジャカルタはジャカルタで現地法人の上役が居るんですが、人事制度上の
上司は2人ともシンガポールに勤務しております。 
上司との間には赤道もあり、北半球と南半球に分断された、上司部下関係となっております。

もっとも、上司との距離という意味では、ドバイ時代の上司は東京の部長だったので、その間の距離
たるは7000km程度あり、所要時間も丸一日程度という状況ではありましたが。

さて、元々は今日11日は取引先の出張者が来る予定だったため、病院の検査は10日の午前中に
入れるつもりで、上司とのアポも10日の14時として、前日の9日にシンガポール入りする予定でした。

その予定で上司とのアポは取得済みだったのですが、予想外にドクターのアポが取れません。
10日まで休暇で、11日の14;45が最速のアポだとのこと。

なので、今回のシンガポール出張と病院検査はリスケするしかないなと思っていたところ、突如
インドネシア側の取引先の都合で、11日からの出張者のスケジュールが丸々1週間遅れることに
なりました。

従い、予定を少し修正し、10日に打合せ、11日に検査、ジャカルタへの帰国便は夜のフライトに
変更しました。

一方、10日14時に入れていた上司とのアポですが、これに間に合わすためには、朝8時半の
フライトに乗らねばならず、朝6時前に起きなければなりません。
それもかったるいので、アポ自体を2時間遅らせてもらい、11:30発のフライトに変更。

というわけで、昨日は普段の出勤よりも遅く、8時半に社宅を出て、空港に向かいました。
16時のアポに対して、シンガポール到着予定は14:20です。
ちょっと遅れると、間に合わない危険性が(^_^;)

幸い時間通りに到着し、アポの1時間前には事務所に到着致しました。
でもって、16時から報告会は30分で終了。

大ボスから「君、この打合せだけのためにわざわざジャカルタから来たの?」と聞かれ、「いえ、主目的は
病院での再検査です」と説明しておきましたが(^_^;)

実はもうひとつの裏の主目的もあって、それは大ボスを初めとして、6月の入院時にお見舞いに来て
くれた方へのお礼の品を渡すという重要任務も帯びておりました。

さて、夜は同じ本部出身で、先週もインドネシアに助っ人出張に来てくれた「K君」と、同期入社で
シンガポールにある事業会社で社長をしている「H君」、そして直属上司の秘書「Sさん」と4人で
飲みに行きました。  結構飲んでしまいましたねぇ。。。。

でもって今朝、6時頃に起きると、誕生日ケーキ(しかも好物のチョコレートケーキ)が部屋に配達されて
いたことに気づき、夜明け前からいきなり頂いてしまいました(^_^;)

DSCN3608.jpg

DSCN3607.jpg


そして二度寝。。。。。7時の目覚ましでは起き上がれず。。。。。そろそろ8時近いかなと目を覚ますと
実に9時半ちかくになっていた(>_<)

私はBlack Berryを使用しているのですが、シンガポールに到着してスイッチを入れたところ、自動的に
シンガポール時間に修正されていたので、7時に鳴った目覚ましは、シンガポール時間の7時だと
思い込んで、3度寝をしたんですが、夜中の間になぜかジャカルタ時間に戻っており、目覚ましがなった
時間は既にシンガポール時間で8時だったのに、さらにそこから寝直してしまったんですね(^_^;)

シンガポール事務所は9時始まりなので、既に事務所が始まる時間よりも遅くまで寝坊してしまいました。
但し起きてすぐ仕事に取り掛かったので、ジャカルタ事務所が開くジャカルタ時間の8時半(シンガポール
時間で9時半)には仕事を開始することができましたが。

午前中一杯仕事をし、13時にホテルをチェックアウトし、取引先に向かいます。
取引先の担当者は出張中で不在であることは分かっていたのですが、御礼の品を届けてから病院に
向かいました。

病院に着いたのは、アポより1時間前。
まだ午後の診察時間が始まってないのか、待合室には誰も居ません。

いつも、ドクターの診察前にレントゲンを撮るので、受付には「まだアポまで時間はあるが、先にレントゲンを
撮らせてくれ」とリクエストし、レントゲンコーナーに行くと、そこもガラガラ。
すぐに撮影してもらい、14時15分頃には整形外科に戻ってきました。

すると、アポより30分近く前なのに、ドクターに呼ばれ診察してもらうことができました。
結果はまずまず良好。

「大腿骨・股関節の痛みが完全に取れるまで1年くらいは掛かる」との説明。
手術後4ヶ月でまだ痛いのは仕方ないそうです。

鎖骨もほぼ完治してるそうですが、固定しているプレートを外す手術は1ヵ月後以降だそうです。
「プレートを外す手術は部分麻酔でやるんですか?」と恐る恐る聞いてみたところ、「全身麻酔でやる」
とのことでホッとしました。

いくら鎖骨プレートを外す簡単な手術とは言え、自分の皮膚が切られ、骨からプレートを外す過程が
見えたり感じたりしたら気持ち悪いですもんね(^_^;)

プレート除去手術後1ヶ月は安静にしている必要があるので、11月中旬に手術しても、運動を開始
できるのは12月中旬以降って感じですかね。

年内に自転車再開はどうにか間に合うかなぁ。。。

診察が16時くらいまで掛かると見て、フライトは18:45発で予約してましたが、15時過ぎには空港に
着いたので、1本早いフライトで帰ってきました。 機内では赤ワインを2杯、免税店ではウィスキーを
2本(2リットル)購入し、無事通関できました。

●本日のローラー台: 

Garmine Edge 800 奇跡の復活!!

約3ヶ月前に動かなくなってしまった、私のEdge800.。。。
私自身も動かなくなってしまったので、ご主人様と運命を共にしたのかと諦めていました。

いや、諦め切れず、何度も何度も再起動すること3ヶ月。
恐らく500回は再起動したと思う。

我ながら根性あるな(^_^;)

でもって今日から東京出張なんですが、出発直前に、スタックしてるEdge800をいつもの通過儀礼のごとく
再起動したんですよ。   恐らく501回目の再起動、3ヶ月続けてきた再起動の繰り返し。

もうダメだと諦め、自転車活動復帰に合わせて新しいのを買おうかなと思ってた矢先。。。。

すると。。。。。え?????  完全に死んでいると思っていたのに、かすかな息の気配が。。。。

出発せねばならない時間が過ぎているのに、Edge800の画面に注視です。

なななななんんっとおおおおおおお!!

復活しました!!

もちろん、約500回、「工場出荷状態に戻す」という質問に「YES」と答えてきたので、めでたく
データは全て消えてます。

それにしても、この3ヶ月間、500回も再起動して、今日こんなタイミングで初めて復活するとは。

実はダメモトで日本に持って帰って、どこかで見てもらおうかと思ってたんですが、その直前に
復活するとは。。。。。

「求めよ、さらば与えられん」、私の執念が、三途の川を9割方渡り切っていたMy Edge800 を
引き戻すことに成功したようです!!

これは凄い。
同じようなトラブルに見舞われた方、しつこくTRYしてみて下さい(^_^;)

今回はラッキーな出張かな(^_^;)

今回、当初は10/10-14でインドネシア出張予定のミッションが、一週間ずれることになり、かつ10/14から
インドネシア入りする予定だった別の出張者も数日遅れて10/17に入ることになったので、参加を要請されて
いた、10/15に東京で行われる調査報告会に参加できることになり、急遽東京出張となりました。

今朝、成田についたのですが、偶然本日は高校3年生の娘の最後の体育祭が開催される日。
帰宅後仮眠を取ってから、体育祭を観戦してきました。

娘が参加する競技で、午後からのものは「騎馬戦」と「学年別ダンス」があるのですが、この学年別の
ダンスは、毎年最終学年の高校3年生が厳しい練習を重ねて、披露してくれるもの。

娘が中1だった5年前に初めて体育祭で高校3年生が踊っているこの高レベルのダンスを見て、「さすが
高校3年生ともなると違うな、娘も17・18歳になったら、こんなダンスを踊れるようになるのだろうか。。。。」
と感慨深く眺めており、その後もたぶん2回くらいは上級生が踊っているこのダンスを体育祭で見てきた
のですが、遂にうちの娘も最終学年となり、見事にこの団体ダンスを踊ってくれました。

偶然とは言え、それをナマで見れたのは非常にラッキーでしたね。

昨日の記事へのコメント返信がまだ出来てませんが、追々に(^_^;)


運転免許証(更新と違反の歴史)

今回は急遽決まった、というかスケジュール的に無理だと思っていた出張が、急遽可能になったことから
明日の会議に出席すべく東京に来ておりますが、昨日の体育祭に加え、本日は免許の更新を行うことが
できました。

前回の更新は5年前の平成19年(2007年)、丁度前回の海外駐在から戻ってきてすぐのことでした。
そのとき発行された免許の期限は「平成24年」(今年)だった訳ですが、今年であることをすっかり
忘れており、留守宅から「免許更新の案内が来てるけど」と言われて初めて気がつきました。

しかし、通知が来たのが先月ですが、私は12月まで帰国予定がない。。。。。orz
このままでは免許が失効してしまうではないか(>_<)

小生、以前にも免許を失効させてしまったことがあり、本来なら普通免許を取得したのは「昭和58年」
(1983年3月)だったんですが、失効後の再発行は「平成9年10月」とされており、昭和58年から
ハンドルを約30年握り続けている事実は免許証からはうかがい知れません(^_^;)

失効後半年以内なら、再発行は簡単なんですが、失効してしまうと以前の「良い」実績は全部帳消しに
なってしまうので、できればそれは避けたかった。

さて、今日鮫洲の免許交付センターで講習を受けながら、ボーっと過去からのことを思い出してみました。

私が初めて運転免許というものを取得したのは、16歳になったばかりの昭和55年(1980年)10月
のこと。  四輪はまだ取れないので、原付免許からのスタートです。

筆記試験に合格し、免許の配布を期待に胸を膨らまして待っていると、待っていた全員の配布が終了した
のに、私にだけ配布されません(>_<)

窓口に問い合わせると、「貴方は過去に違反があるので、通常通りの発行はできません」と言われて
しまいました。。。。orz

当時は免許システムを理解していなかったので、戸惑いますが、普通の人は行くことのない別室に
連れて行かれ、事情を説明されました。

原因は、数ヶ月前にやらかした「無免許運転」が違反記録として残っていたんですね(>_<)

この話は話すと長くなるので、別の機会に振るとして、高校に入学してすぐ、悪友の誘いに不用意に
応じてしまい、悪友がギッて(盗んできた)バイクに、3人で交代交代乗っていたところ、運悪く私が
乗っているときにパトカーに捕まり、そのまま立川署に連行され、学校にも通報されて大騒ぎに。

3人はめでたく「停学3日」の処分を受けました。
詳細は色々あるのですが、この話は別の機会に。

免許センターに話を戻します。
そういう過去(違反履歴)があったので、本来なら「15点所有」から始まる原付免許が、免許取得前の
無免許運転という違反により、最初から8点減点の「7点所有」から始まるとの説明。

なので、一番軽微な違反で捕まっても即免停、ちょっと重い違反だと、一発取り消しという、免許生活を
開始した32年前から、危ないスタートを切っておりました。

しかしながら、幸い原付時代は一度も捕まることなく、普通免許を取得した、昭和58年には、「15点」
からのスタートとなりました!

が、しかし。。。。。。入学式の2日前(3月末)に取ったばかりの免許でしたが、既に4月10日頃には
スピード違反で捕まり、いきなり免停に。。。。。orz  

持ち点は「9点」まで減ってしまいました(>_<)

初回の免停だったので、講習を受けることで、2日で免許が戻ってきたんですが、1年以内にもう1回
捕まると、今度は1ヶ月以上の免停となります。

しかし、お巡りさんも勤務している平日に運転する機会の多い学生は、やはり捕まるリスクも高いわけで、
5月末にもまたスピード違反で捕まり、再度免停。。。。orz
持ち点は「3点」まで減ってしまいました(>_<)

その後は物凄く気をつけて運転していたので、約1年捕まることなく、最後に捕まった5月末から1年経過
すれば、過去の減点(12点)は全部復活するところだったのですが。。。。。orz

1年満了する3日前に、一時停止違反で違反切符(>_<) これが昭和59年のこと。
持ち点は既に「1点」まで減っている状態で、またもや「365日無事故無違反」に再チャレンジです(^_^;)

しかし、運の悪い私は、またもや365日が満了する直前の、昭和60年5月に駐車違反で捕まります。
今も忘れられない湘南海岸。。。。orz

これで、「最初の15点」が全部なくなったので、めでたく「免許取り消し」です。
さすがに落ち込みました。

府中にある免許センターに「免許取り消し」の判決を受けに行きました。
九分九厘ダメだと覚悟していたのですが、「酒気帯び系」の違反がなく、かつ1年経過ギリギリのタイミング
で比較的軽微な違反で捕まっていたこと、初回ということもあり、取り消しは免れましたが、「6ヶ月の免停」
と、復活後も「持ち点は6点」という厳しい再スタート。

結局これも「2点違反」x3回で食い潰し、再度「免許取り消し判決」に望むことに。。。。。。

幸い2回目も取り消しは免れましたが、またもや「6ヶ月免停」。。。。orz

「免停に次ぐ免停」「取り消し対象、2回瀬戸際」という散々の学生時代でしたが、社会人になって、休日しか
運転する機会がなくなると、お巡りさんのお休みと重なるからなのか、急に捕まらなくなりました(^_^;)

ここからは更新記録。

原付免許取得: 1980年10月(昭和55年)
普通免許取得: 1983年 3月
初回免許更新: 1985年10月
2回目更新:   1988年10月(昭和63年)
3回目更新期限: 1991年10月


 しかし、このときは海外勤務中だったので、期限内に更新できず。
 でも、パスポートの出入国記録を提出したところ、失効することなく、1992年1月に無事
 免許更新することができた。

4回目更新期限: 1994年10月

 このときは、94年6月に2回目の海外赴任だったので、事前に更新したところ、

5回目の更新期限は「1996年10月」に短縮されてしまった。。。。orz

 前回同様、97年9月に帰国後、同じ手続きをしようとしたら、既に半年以上経過していた
 ことが理由なのか、「失効&再発行」となってしまった。

新しい免許の発行:  1997年10月(平成9年)
新免許初回更新:   2000年10月
2回目更新:       2003年6月 (期限前更新)
3回目更新:       2007年10月
4回目更新:       2012年10月(今回)


2回目更新から3回目更新までの4年4ヶ月の内、4年2ヶ月は海外勤務中だったのですが、
休暇で帰国した際に平日運転すると捕まるんですな、これが(^_^;)

なので、殆ど日本に居なかったのに、ゴールド免許はもらえず、但し5年期限で免許をもらった。
このときに受けた講習は「1時間」でした。

今回の更新までの5年間は、軽微な違反で数回捕まっただけですが、これもまた364日周期
で捕まった(春の交通安全週間期間中に2年連続で捕まった)したので、ゴールド免許どころか
「違反者扱い」で、講習は屈辱の「2時間」。

気が滅入るようなビデオを見せられ、午後になってやっと解放されました(>_<)





10/15  東京出張(本社との打合せ)

1日遡って書きます。

この日は朝から晩まで本社の各部署との打ち合わせが連続し、昼休みも弁当を買い込んでのミーティングの
連続でした。
18時に終わる予定で、18時半から飲み会もアレンジしてもらっていたのですが、偉い人との会議が長引き、
終わったのは19時半。。。。。1時間以上遅れての参加となりました。

翌朝の出発は早かったので、2次会は行かない予定だったのですが。。。。。。流れでキャバクラに(^_^;)
でも、日付が変わる前には帰宅しましたよ。
プロフィール

Muirwoods

Author:Muirwoods
2010年1月、45歳にして、短距離通勤用として購入したクロスバイク(MARIN Muirwoods、26インチMTB仕様)がいつのまに生活の中心的存在となり、Muirwoods号で300キロ超のロングライドに挑戦し、2010年末46歳でロードバイクデビューしました。

ロードバイク1台目は「Cervelo RS」。
11年7月にジャカルタに赴任、CAAD10を新規購入して持ち込みましたが、事故で大怪我をしてしまい、現在自転車活動は休止中です。

本年10/10を以って50歳になりした。
50代の10年も、頑張ります!!

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