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インド出張 (その弐)

到着日翌日、ホテルの部屋から周辺を撮影。
ジャカルタと異なり、高いビルがないですねぇ。

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ホテルのロビーは豪華です。

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業務関連の画像はスキップし、ランチはこの店で。

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結構広いですが、お客はたくさん入ってました。

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まずは前菜? のタンドリーチキン。

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次にカレー4種類。

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この米料理が、ハイデラバードで有名なビリヤーニです。

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ランチは本格インド料理で美味しかったですが、お店のある周辺はちょっと下町っぽかったですね。

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夜はホテル内の仮事務所で、日本食をルームサービスし、一同で囲みます。

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ビールは地場のキングフィッシャー!

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2日目はこれで終了です。



生まれて初めてのインド(出張) その壱

今回は珍しく画像を多用します。
皆様にお見せしたいというよりも、自分のための思い出メモみたいなもんです。

まずは3/10ジャカルタ空港にて。
14時過ぎのフライトなので、昼前に到着し、ラウンジでランチです。
今回はガルーダでないので、しょぼいラウンジです。

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たまには炭水化物も。

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シンガポール航空に乗りました。

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また食事が出ますが、とりあえず食べておきます。

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デザートも一口だけ(笑)

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赤道を越えてシンガポールへ。

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シンガポールの空港内から撮影。

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シンガポール航空の子会社LCCのシルクエアーに乗って、インドのハイデラバードへ向かいます。

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ビールとオレンジジュースが配られますが、さすがLCCな感じでしょぼいっすね(苦笑)

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機内食はこんな感じ。
ジャカルタ(ラウンジ)、シンガポール航空、シルクエアーと、今日3度目の食事です。(これでは終わらない:謎)

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食事中&食後はワインを飲みます。

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小瓶ですが、都合8本飲んだので、普通のボトルで2本分(笑)

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ハイデラバード到着です!

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さすがインド!!  

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空港から車で45分ほどでホテルに到着。

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ホテルの部屋は綺麗です。 さすがパークハイアット!

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インドネシア時間では午前2時過ぎですが、飲み始めます。

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飲んでいる内に無性にカレーが食べたくなり、夜中なのにルームサービスで本場のカレーを注文!
ランチから始まって、実に本日4度目の食事です(笑)

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とりあえず、今日はここまで。

次回に続きます。


今から丁度「半世紀」前。。。人生の偶然を嚙みしめる

3ヶ月以上ブログ更新してませんでした。
昨年書いた記事は15本のみ。 これじゃあ、ブロガーとは言えませんね(苦笑)

さて、小生明日インドに初出張します。
人生50年、商社マン生活28年となり、アフリカを駆け出しに、中東各国に駐在・出張し、休暇でヨーロッパや
アメリカを訪問し、出張でオーストラリアに毎月通ったり、ジャカルタをベースにアジア各国への出張等、
世界各国40-50ヶ国近い国に足を踏み入れたことがありますが、インド入りは生まれて初めてのことです。

強いて言えば、過去に一度だけ、インドのムンバイ(当時は「ボンベイ」)を経由するフライトで中東に行った
ことがありました(20年以上前)が、飛行機を降りて、インドの地を踏むのは明日が初めてとなります。

実は今から丁度50年(半世紀)前、1965年の初春、やはり商社マンだった父が、生まれて初めてインドに
行きました。  しかも出張ではなく、いきなり「赴任」です。

私が生まれて半年もしない内のことでした。
それから3年強、一度も出張や休暇で一時帰国しなかったので、私は物心付いてから3歳半になるまで、
一度も父親に会うことができませんでした。

物心が付く、ないしは、今覚えている一番古い記憶が「3歳半よりも大きくなってから」という人も居るかも
しれませんが、私の場合古い記憶が鮮明に残っており、最も古い記憶は、「2歳3ヶ月」のものです。
それは、3歳年上の姉が5歳の誕生日を迎えた日の出来事であり、48年以上経過した今でも鮮明に覚えています。

なので、物心付いてから、初めて父親と再会するまでの1年強は、2-3歳だった私には、とてつもなく長い期間でした。
今なら、あっと言う間に過ぎてしまう1-2年ですが、2-3歳の幼児にとっては、人生と同じくらいの長さです。

なので「父親が居ない寂しさ」は、今でも強烈に心に染み付いています。
その父も4年前に他界してしまいましたが、1979-83年は、今の小生と同じく、ジャカルタ駐在でした。

父がジャカルタ駐在中の私は「中3~大1」でしたが、私がジャカルタ駐在中の息子も丁度「中3~大1」という
興味深い一致もあります。  32年の時を経て、私は父親と同じ人生を送っている。

今から丁度半世紀前が、父のインド赴任、四半世紀前の1990年、小生はアフリカ駐在中、4年前の2011年、
父に遅れること32年、ジャカルタに赴任。
そして父がインドに赴任した日から丁度半世紀後の明日、私が初めてインドに赴くという偶然。

人生50年も生きていると、色々な偶然があるものですが、何か運命的なものも感じる今日この頃です。

さて、ジャカルタに赴任してから、既に3年9ヶ月が経過しました。
任期は4年なので、今年の夏頃には最終帰国となりそうです。

長かったような短かったような4年間ですが、自転車で大事故を起こし、人生と人生観が大きく変わった4年間でもありました。

後任は、今佳境に入っている案件の実現次第ですが、元気な若手に来てもらいたいものです。

今日から丁度四半世紀前

今を遡ること四半世紀(25年)前の、1989年(平成元年)12月2日、私は初めての海外勤務
任地である、コートジボアール(象牙海岸共和国)の商都アビジャンに赴任しました。

もちろん、生まれて初めてのアフリカ大陸入りでした。
まだ25歳、今の年齢の半分でしたね。

アビジャンは赤道直下とも言えますが、一応北半球で、北緯5度。
現在の勤務地ジャカルタも、同じく赤道直下とも言えますが、南半球で南緯6度。

四半世紀前も現在も、私は赤道直下に近い場所で勤務しているという訳です。

現在が4回目の海外勤務ですが、2回目と3回目は中東で、北緯20度くらいのところだったので、
一応「冬」がありましたが、1回目と4回目は冬がなく常夏で、雨季と乾季がある程度の季節変化。

日本との時差は、9時間、6時間、5時間、2時間と、回を重ねるごとに日本に近づいてはいる
ものの、今回は赤道を越えて南半球に来てしまいました。

それにしても、25年前の今日、25歳で初めて海外生活を始めてから25年。
アフリカ2年1ヶ月、サウジ3年3ヶ月、ドバイ4年2ヶ月、ジャカルタ3年5ヶ月(継続中)と
合計、12年11ヶ月、約13年海外勤務してる。

つまり、直近25年は、日本に居た期間より、海外に住んでた期間の方が長かった訳だ。
会社生活は合計27年8ヶ月なので、会社生活の半分には達していないが。

海外勤務に憧れ今の会社に入ったが、ここまで回数・期間が多く(長く)なるとはねぇ。。。。

任期通りなら、来年帰国予定だけど、定年まで約9年あるので、もう一回くらいチャンスは
あるかなぁ。。。。

ふと半生を振り返ってみました(^_^;



1日でここまで円安になった事ってありましたっけ?

日銀黒田総裁、大胆な金融緩和、やってくれましたねぇー

私の場合、給料が米ドル建てで、かつ相当額のドル資産も7年以上凍結させている関係で、円安は大歓迎。

それにしても、入社以来27年以上、毎日為替に一喜一憂してましたが、私の記憶では、1日に3円近く円安に
なったことはなかったように思います。 精々、1円50銭か2円未満しか記憶にありません。

1日で激しく円高に振れたことはありましたが、円安は初めての経験です。

過去の1日の円安サイドへの変動幅の最高記録を探そうとネット検索してみましたが、「1円80銭以上の
変動確率は1%未満」とか、「変動が大きいときは必ず円高で、円安に大きく振れることはない」と言った
記事は見かけるもの円安サイドへの変動幅記録はみつかりません。

現時点で既に本日は「2円94銭」円安に振れてます。
昨日109円だったのに、既に112円に!

これからアメリカ市場が閉まるまでの数時間で、さらに円安が進むのか、少し戻すのかは分かりませんが、
2014年10月31日という日が、ドル円相場にとって大きなターニングポイントとして記憶(記録)されることは
間違いないような気がしてきました。

急激な円高は何度も経験してますが、1日でここまで円安になるとは。

短期間での円安傾向という意味では1990年が顕著でしたよね。

就職活動していた1986年は、プラザ合意翌年で、円高がガンガン進んでおり、入社した87年から88年に
かけても円高が大きく進みましたが、1990年には1ドル120円から、一気に160円まで円安に進みました。
バブル最盛期の頃ですよね。

自国通貨が下落すると景気が良くなる(株価が上がる)国も、あまりないように思いますが(^_^;

円安と株高は連動することが多いので、本日は為替・円安によるドル資産の円ベースでの増額と、
株式含み損の減少という両方の面で、資産価値が一気に改善した日となりました。

ここんところ、一気に資産価値が大幅減する局面が多かっただけに、少し戻しただけなんですがね(^_^;


<追記> 2.99円安まで行ったね。 明日起きたら3円超えてるかも! ビバ円安♪

3.16円まで行ったーーーーーー!!  ギネス級の円安だぁ

ここまで行くと、パラダイム変換かと。。。。。 凄いな


3.19円 円安   異次元だ。。。。。。

安部政権の功罪は10年か20年先に、歴史として語られるのだろう。

3.24円まで来てる。。。 まさかの4円、円安行っちゃいますかね?










プロフィール

Muirwoods

Author:Muirwoods
2010年1月、45歳にして、短距離通勤用として購入したクロスバイク(MARIN Muirwoods、26インチMTB仕様)がいつのまに生活の中心的存在となり、Muirwoods号で300キロ超のロングライドに挑戦し、2010年末46歳でロードバイクデビューしました。

ロードバイク1台目は「Cervelo RS」。
11年7月にジャカルタに赴任、CAAD10を新規購入して持ち込みましたが、事故で大怪我をしてしまい、現在自転車活動は休止中です。

本年10/10を以って50歳になりした。
50代の10年も、頑張ります!!

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